前回は、医療用精密器具のトップメーカーのマニー株式会社の、ミャンマー進出後に直面した人的管理面や文化的な違いについてご紹介した。今回は、進出後の工場での運営における労務管理に焦点を当てたい。

政治・経済分野に比べて進む労働者の“民主化”<br />マニーが気を使う当局との絶妙な距離感(3)マニーのミャンマー工場

 どんなに人件費が安い場所に工場を設立しても、また現地従業員の国民性がいかに素晴らしいと言われていても、実際の仕事の現場でそれを発揮できなければ、机上の空論で終わってしまう。

 ミャンマーは工場立地として最適かもしれない。ただ、それはあくまでも可能性の話であって、実際本当に思い描くように現地従業員が動かなければ、現実の世界では全く意味をなさない。

 マニーはミャンマーへの工場設立当初から、日本人の駐在員1名で、現地の工場を管理してきた。その過程において、現地での幹部候補をどのように育てていくか、現地従業員のやる気をいかに高めるか、現地ならではの労務問題への対応、現地の労務監督局との折衝など、日々のオペレーションの中で、幾多の問題への対応を行ってきた。

 今回も松谷貫司会長、そしてそれを実務面からサポートしてきた高井壽秀副社長、榎本勲MANI YANGON LTD社長にお話を伺った。

日本人1人で300人の
ミャンマー工場を回す秘訣

 ミャンマーの工場には、300名以上の従業員が働いている。その工場に、日本人は実は1名だけ。それがMANI YANGON LTD社長の榎本氏だ。

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――ミャンマー工場での日本からの駐在員は、昔から1名だったのですか。

松谷会長 最初から1人です。途中一時的に2名になったときもありますが、基本は1名です。

高井副社長 海外展開での基本方針として、技術伝承は日本でやり、現地の工場に持っていきます。また現地のオペレーションは、基本的に現地の人にやってもらいます。そういう方針でベトナムも展開していきました。

松谷会長 ただ、ミャンマー人の教育はベトナムでやっています。そのほうが、日本に来て教育をするよりも離職率が低いですね。ミャンマーから来た人が、ベトナムの工場に来て辞めるという話は聞いたことがありません。