先週の日曜日、以前事務所を構えていた神保町に近い一橋記念講堂で、第6回NINJALフォーラムが行われた。「忍者フォーラム」と読まれてしまいそうなこのフォーラムは、定員400名に対して500人以上もの申し込みがあり、私の知り合いや教え子も含め、結構、多くの参加希望者が門前払いを食わされたほど人気があったのだ。

主催は国立国語研究所
つい緊張してしまった私

 私も講師の一人としてこのフォーラムに呼ばれた。講演には慣れているはずだが、どうしたわけか、その日ばかりは、壇上に立った時、心なしか緊張感を覚えた。この忍者フォーラムならぬNINJALフォーラムがあの名高い国立国語研究所の主催によるものだからだと思う。

 国立国語研究所は、日本語を専攻とした人間や日本語教育に携わる人間にとってはまさに聖殿そのものだ。だから、日本語教育の世界から遠ざかってすでに二十数年も経った私は、講師に来いと呼ばれた時、興奮と緊張が入り混じった気持ちに駆られた。その気持ちのせいで、講演会の壇上に立った私はつい緊張してしまった。

 フォーラムのテーマは、「グローバル社会における日本語のコミュニケーション~日本語を学ぶことはなぜ必要か~」である。論題や視点はむしろ単純な日本語教育という域を超え、数十年先の日本のあるべき姿とリンクしながら、言語としての日本語の将来性について自由闊達に語り合う4時間だった。

 現在、日本には約200万人の外国人が住んでいる。この30年で日本国内の外国人留学生の数は13倍、海外の日本語学習者数も30倍に増加している、という。労働力の不足がささやかれている日本の社会福祉施設では、日本語を学んで看護・介護の資格を取得する東南アジアの人々に、将来の労働力として大きな期待を寄せている現実もある。その意味では、日本語の将来性はまだまだ明るい未来がある。