ヤマトホールディングスの創業は、大正8年(1919年)であることをご存じだろうか。齢(よわい)はすでに90年を超す古い会社なのである。にもかかわらず、元ヤマト運輸会長の故・小倉昌男氏が「宅急便」を開発して以来、現在に至るまで、宅配市場ではトップの座を守り続けている。
それを可能にしたのは、今や日常の一部となったスキー宅急便、ゴルフ宅急便、そしてクール宅急便といった絶え間ざる商品・サービスの革新であった。なぜ、ヤマトグループは革新的な企業であり続けることができるのか。2回にわたってヤマトホールディングスの木川眞社長に、ヤマトグループのDNAについて聞く。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 編集長・原英次郎、小尾拓也 撮影/宇佐見利明)
規制の強い銀行業界と
自由な運輸業界の違い
――木川さんは2005年にみずほコーポレート銀行から、ヤマト運輸に入社されましたね。みずほフィナンシャルグループとヤマトグループでは何が一番違うとお感じなりましたか。
みずほとヤマトの違い云々という以前に、個々の銀行の違いはあまりありません。やはり金融業は非常に規制が強い。そういうがんじがらめになっている業態に対して、今の運輸業は基本的に規制の束縛から解き放たれていて、自由な競争が出来る。このような業界としての違いがあります。
したがって、ヤマトグループに来て、仕事のやり方は大きく変わりました。ある意味でやりたいと思ったことがすぐ形にできる。もちろん、大きな投資案件であれば当然、何年もかかる。それでも自分がやりたいと考える戦略を具体的に前に進めることができるということでは、銀行から来た人間から言えば開放感があります。