「する時にはするもの、それが起業」 <br />経営者としての「センス」とは何か?

需要者と供給者を情報システムで結び付け、効率的に鮮魚を届けるプラットフォームサービスを提供する八面六臂。松田雅也社長は「最先端のシステムを駆使して鮮魚情報を処理するITカンパニーを目指す」と語る。その視線の先にあるのはどんな世界か。「圧倒的なユニークネス」と「多くの者の共感を呼び揺り動かすビジョン」という一見、相矛盾する要素を兼ね備え、圧倒的な価値を生み出す“バリュークリエイター”の実像と戦略思考に迫る連載第6回後編。(企画構成:荒木博行、文:荻島央江)

※この記事は、GLOBIS.JP掲載「完全性と過激さに磨かれた不屈のセンス 後編―八面六臂・松田雅也社長(バリュークリエイターたちの戦略論)」の転載です。

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計算づくというより
成り行きだった起業

「する時にはするもの、それが起業」 <br />経営者としての「センス」とは何か?

「社会に出るまで、起業家になるつもりなど毛頭ありませんでした。する時にはするもの、それが起業。他人にけしかられてどうこうというものじゃない。そんなことをしたら間違いなく失敗します」。いつ頃から起業を志したのかという問いに対して、松田はこう答えた。

 弁護士になりたいと漠然と思ったことはあったが、具体的な行動には至らなかった。大学時代はミュージシャンに憧れ、プロの講師につくほど音楽に没頭した。いよいよ就職という段階で官僚を目指し、公務員試験を受けるも不合格。最終的に大手銀行に就職したが、出世コースだった京都支店法人営業部に配属されるも「仕事がつまらない」とわずか1年半で退職する。

 東京に移って転職したのだが、そこは創業したてのベンチャーキャピタルだった。スピード感が性に合った。寝る間も惜しんで働くうち実績が認められ半年後には取締役パートナーになっていた。面白かった。「やっているうちに、自分の会社を作って、自分の思い通りに経営してみたくなった」と松田は振り返る。

 2007年5月、26歳で、電力事業者と需要家を仲介する「エナジーエージェント」(2011年に八面六臂に社名変更)を事業目的が明確でないまま設立する。再生可能エネルギーの普及機運が追い風になると読んだものの、時期尚早だった。顧客開拓がままならず低迷し、日銭稼ぎで始めた携帯電話などの販売代理事業で何とか食いつなぐ。そんなとき、銀行時代の縁で物流会社の知り合いにIT子会社の立ち上げを依頼され、2008年から事業責任者として参画する。事業の拡大に伴い、2009年6月には取締役に就任した。この間、エナジーエージェントは事実上の休眠となる。

 そのIT会社では、「物流×IT」という切り口で何かできるのではと新事業を模索した。松田にとっては2度目の創業。議論の結果、ITで物流を効率化するソリューションを法人向けに販売することになった。大手住宅メーカーとのプロジェクトが当たり、会社は急成長。中心メンバーだった松田は「物流IT化」の専門家として名前を知られる存在となり、講演に呼ばれるまでになった。

 しかし成功の一方で、再び「どうせやるなら子会社の責任者ではなく、やはり自分の会社でやりたい」という思いが頭をもたげるようになる。その思いは、2010年7月に結婚し 8月に30歳になったことで急速に膨れ上がり、2010年9月にはIT会社を退職。休眠状態にあったエナジーエージェントを再起動させた。

 事業テーマを「鮮魚×IT」に定めたのは、物流IT化の事業に取り組んでいたとき、鮮魚流通関係者と話をしたことがきっかけ。複雑で非効率な流通形態にビジネスチャンスを感じていた。いよいよ鮮魚流通サービスを開始したのは2011年4月のことだ。