映画『ホテル・ルワンダ』でも描かれたフツ族による虐殺が始まった
ルワンダ王国では1896年の王の死によってツチ貴族の内紛が起こり、それに乗じたドイツによって保護領に組み込まれた。第一次世界大戦の敗北でドイツがアフリカの植民地を手放すと、現在のブルンジとともにベルギーの委任統治に置かれ、公用語はフランス語になった。
第二次世界大戦後の「民族独立」の熱気のなかで1959年にフツ族による反乱が起こり、混乱のなかでツチ族への大規模な虐殺に発展した。その犠牲者は2万人から10万人とされ、15万人におよぶツチ族がウガンダ、ケニア、ブルンジ、コンゴ民主共和国など近隣諸国に難民となって逃れた。
現ルワンダ大統領のポール・カガメもこのときの難民で、幼少期を難民キャンプで過ごしたのち、10代でウガンダ反政府軍に加わった。ウガンダはイディ・アミンの独裁政治で大混乱に陥っており、タンザニアとの戦争に敗れてアミンが失脚したあとに内戦が勃発した。このウガンダ内戦を制して1986年に大統領に就任したのが国民抵抗運動のヨウェリ・ムセベニだが、新政府軍の2割はルワンダ出身者が占めており、カガメは軍諜報部長の要職にあった。
ウガンダで政権を獲得すると、次にカガメはルワンダ愛国戦線(RPF/Rwandan Patriotic Front)を結成し、ルワンダを「解放」する武装闘争に取り掛かった。1990年10月、RPFの軍隊がルワンダ北部に進行すると、ルワンダ国内のフツとツチの関係は一気に緊張した。
1994年4月6日、ルワンダのハビャリマナ大統領とブルンジのンタリャミラ大統領が搭乗する飛行機が、キガリ国際空港への着陸寸前にミサイル攻撃を受けて撃墜され、両大統領は死亡した。この攻撃が誰によって行なわれたのかは現在でも不明のままだが、これをきっかけにラジオは「ゴキブリ(ツチ)を駆除せよ」と連呼し、インテラハムウェと呼ばれる民兵がフツの男たちを組織して、マチェーテ(山刀)を手にフツの穏健派やツチ族を片っ端から殺しはじめた。
ジェノサイドは首都キガリやRPFに脅かされる北西部から始まり、その後、全国に拡大した。このジェノサイドについては、日本でも公開された映画『ホテル・ルワンダ』や『ルワンダの涙』で描かれている。
ルワンダ国民のほとんどは敬虔なキリスト教徒で、1959年のルワンダ革命では教会に逃れたツチは虐殺を免れた。そのため1994年も、ツチの住民たちは家族を連れて近くの教会に避難した。
だが今回は神の威光はなんに役にも立たず、男たちはマチェーテを手に教会になだれ込み、女子どもまで皆殺しにした。南部のニャルブイェではフツ族の市長が暴徒を率いてブルドーザーで教会を破壊し、4月15日と16日の2日間で2万人を虐殺した。キガリの南30キロのほどのところにあるニャマタでも、4月14日からの3日間で教会に集まった5000人の避難民が虐殺され、その後、5月14日までのあいだにツチ系住民およそ5万9000人のうち5万人が殺された。避難民になんの保護も提供できなかったのは学校や病院も同じで、南東部のムランビでは2000人を超えるツチ族が病院に集まったが、4月16日に暴徒によって皆殺しにされた。
マチェーテ(山刀)を手にするフツの男 (Photo:ⒸAlt Invest Com)
100日間で730万人のルワンダ国民のうち117万4000人が殺害された
ムランビの虐殺は、アメリカのジャーナリスト、フィリップ・ゴーレイヴィチが『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』(WAVE出版)で詳細を述べている。警官たちから「明日の朝に攻撃がある」と通告されたあと、病院にいた牧師たちは教区議長のンタキルチマナ牧師に手紙を書いた。
その手紙は、「我々は明日、家族と共に殺されるだろうと聞いたことをお伝えいたします」と述べ、「今打ち壊されようとしている会衆の指導者」として市長との仲介を懇願するものだった。この手紙に対するンタキルチマナ牧師の返答は「おまえたちの問題にはもう解決策が見つかっている。おまえたちは死なねばならない(あるいは「おまえたちは消えねばならない。主はおまえたちを求めておられない」)だった。――ゴーレイヴィチの原書タイトル“We wish to inform that we will be killed with our families”はこの手紙の文面から採られている。
ジェノサイド後、ンタキルチマナ牧師はアメリカ、テキサスで心臓麻酔医をしている息子のもとに逃れた。タンザニアのアルーシャに置かれた国連ルワンダ国際裁判所から3件のジェノサイドと3件の人道に対する罪で起訴されたンタキルチマナ牧師を、ゴーレイヴィチは息子の自宅でインタビューすることに成功した。
牧師は、「すべて100パーセントまるっきり嘘だ。わたしは誰も殺していない。ヒトを殺せと命令したことなどない。わたしにそんなことはできない」と述べた。「わたしはこれまでもずっと、なによりもツチ族を助けようとしてきた」が、なぜかツチ族に感謝されず、あまつさえ告発までされている。「もはや正義などないかのようだ」というのだ。
インタビューの翌日、牧師はメキシコに向けて車を走らせているところを、尾行していたFBI捜査官によって拘束された。だが弁護士が「牧師を国際法廷に送致するのは米国憲法の精神にもとる」と主張し、連邦地方裁判所がこれを認めたため、14カ月刑務所に収監されたあと付帯条件なしで釈放された。ジェノサイドの罪で訴追された牧師の逮捕と裁判は、アメリカ国内でなんの話題にもならなかった。
ルワンダ全土でジェノサイドの大混乱が起きると、ルワンダ愛国戦線がツチ系住民の保護を名目にウガンダから進軍し、7月19日に全土を掌握した。この100日間のあいだに、730万人のルワンダ国民のうちツチを中心に117万4000人が殺害されたとされる。愛知県や埼玉県ほどの人口の国で、1日におよそ1万人が死んでいったことになる。
「ジェノサイド・メモリアル」に安置された犠牲者の頭蓋骨 (Photo:ⒸAlt Invest Com)




