人種間の対立をあえて煽るようなトランプ大統領の言動は
すべて選挙対策である、と言える根拠
【橘玲の日々刻々】

2020年6月18日公開(2020年7月1日更新)
橘玲

シリコン・バレーの大富豪の出資を受け「ケンブリッジ・アナリティカ」が誕生する

 2013年秋、同僚と2人でJFK空港に降り立ったワイリーは、そのままニューヨークのアッパーウエストサイドにある再開発地域リバーサイド・サウスに建つトランプ・プレイスに向かった。そこにロバート・マーサーの次女レベッカの自宅があり、ハドソン川とマンハッタンの夜景を一望する23階から25階の3フロアをぶち抜いて、6つのアパートメントを統合した17ベッドルームの豪邸にしていた。

 その日は父ロバートやスティーブ・バノン、マーク・ブロック、イギリス独立党幹部などが参加するホームパーティが開かれていて、先に到着していたニックスと、遅れて駆けつけたワイリーたちがプレゼンテーションをすることになっていた。ロバート・マーサーは極端に内向的で、メディアのインタビューに応じることもなければ、人前に姿を現わすこともほとんどない。この貴重な場面が“Mindf*ck”のハイライトのひとつだ。

 父とはちがって次女のレベッカは社交的で、「保守派のチアリーダー」役を買って出ていた。彼女はスタンフォード大学で生物学と数学を学び、システム工学の修士号を取得した後、父のいるルネッサンス・テクノロジーズで働きはじめたが、子どもができると退職してホームスクーリング(子どもを学校に通わせずに自宅で教育することは、アメリカでは義務教育のひとつとして認められている)を始めた。2006年には姉妹とともにマンハッタンのパン屋を買い取り、チョコレートクッキーを売るようになる。

 ロバート・マーサーは、子どもや孫たちが集まるホームパーティですら地味なグレイのスーツを着て、自分からはほとんど話さず聞き役に徹し、口を開くときは平板なトーンで技術的なことを質問した。

 ワイリーによれば、マーサーはこのときのプレゼンテーションで、有権者のビッグデータをコンピュータで解析し、心理操作する可能性に気づき、SCLへの出資を決めたという。

 「すべてのひとのデータ・プロファイルをコピーし、社会全体をコンピュータのなかに置き換えることができるなら――ゲームの「シムシティ」のようだが、実在のひとびとのデータが使われている――これから社会や市場でなにが起きるのかシミュレーションし、予測することが可能になる。これこそがマーサーが目指すゴールなのだ」とワイリーは書く。マーサーはコンピュータ・エンジニアからソーシャル・エンジニアになり、コンピュータの内部構造を変えるように社会をリファクタリングし、大衆を「最適化」しようとしたのだ。

 これは、マーサーやピーター・ティールのようなきわめて知能の高い大富豪が、なぜトランプを支持するのかのきわめて説得力のある説明になっている。一般に内向的で神経質傾向が高いと、混乱や無秩序を不安に感じて回避しようとする。そこに極端に高い論理・数学的知能が加わると、自分が安心して住めるよう社会を「改造」するというSF的なビジョンに魅力を感じるようになるのかもしれない。

 ピーター・ティールはペイパルの創業者で、イーロン・マスクの盟友であり、シリコンバレーのベンチャー投資家として初期のフェイスブックに投資し、トランプの当選後は、ティム・クック(アップル)、ジェフ・ベゾス(アマゾン)、ラリー・ペイジ(グーグル)などシルコンバレーの大物たちを一堂に集め新大統領に引き合わせた。

[参考記事]
●アメリカの「影の大統領」、ピーター・ティールの思想とは?

 そのティールは、9.11同時多発テロを受けて2004年にパランティアというビッグデータ解析企業を設立し、FBIや国防総省などと契約して安全保障のプラットフォームを開発・提供している。パランティアの存在をアレクサンダー・ニックスに教えたのは、SCLでインターンをしていたソフィア・シュミットで、彼女はグーグルの元CEOエリック・シュミットの娘だ。パランティアは非公開の企業だが、時価総額は4兆円を超えるともいわれる。それを知ったニックスは、SCLをパランティアに匹敵する企業に育てることを目標にするようになったという。

 シリコンバレーは「リベラルの牙城」とされるが、その背景にあるのは「テクノロジーの進歩とイノベーションによってすべての社会問題は解決できる」というテック信仰(加速主義)だ。「リベラル」とされるグーグルやアップルなどシリコンバレーのIT企業も、「異端」のティールやマーサーと同じビジョンを共有しているのだ。

 このホームパーティでマーサーはSCLのアメリカ法人に1500万ドル(約170億円)から2000万ドル(約220億円)の出資を決め、その新会社にスティーブ・バノンが「ケンブリッジ・アナリティカ」という名前をつけた。

フェイスブックのユーザーに心理テストを受けさせることで
ユーザーだけでなく「友だち」の個人情報も一括して収集

 大富豪ロバート・マーサーの出資によって巨額の資金を得たSCL=ケンブリッジ・アナリティカは、それに見合う成果を出すようスティーブ・バノンから強い圧力を受けていた。

 このときワイリーたちが頼ったのが、ケンブリッジ大学の計量心理学センター(psychometrics centre)で、DAAPA(インターネットの生みの親であるアメリカ国防高等研究計画局)から出資を受けていた。「心理研究室」という小さな札がかかった部屋で彼らを出迎えたのがアレクサンドル・コーガン(1985年生)で、ソ連時代のモルドヴァに生まれ、子ども時代をモスクワで過ごし、ソ連崩壊後の1991年に家族でアメリカに移住してUCLAバークレーで学んだあと、香港の大学で心理学の博士号を取得した。

 コーガンはケンブリッジ・アナリティカに潤沢な資金があることを知ると、カリブ海のトリニダード・トバゴで行なわれた有権者の個人情報を使った大規模な社会実験に参加し、バノンとともにアメリカでの初期のプロジェクトを起ち上げた。2014年の春頃、ケンブリッジ大学の同僚マイケル・コジンスキー(1982年生)とデイヴィッド・スティルウェルを紹介したのもコーガンで、2人は2007年にフェイスブックの「マイ・パーソナリティ」というアプリを使って大量の個人情報を取得し、それを心理分析に使っていた。

 コーガンはコジンスキーにデータの商業利用をもちかけたが、「50万ドル+利益の50%のロイアリティ」という法外な条件を突きつけられて頓挫する(コジンスキーはこれを否定)。その結果、自分たちでフェイスブックから個人情報を取得するよう計画を変更した。

 コジンスキーの手法は、ネット経由で少額の仕事を発注できるAmazonのメカニカル・タークを使って、1ドルから2ドルの謝礼を支払うことで、フェイスブックのユーザーに心理テストを受けさせることだった。ユーザーが回答すると、「友だちAPI」というアプリケーションによって、ユーザーだけでなく登録されている「友だち」の個人情報も一括して収集することができた。これはカイザーも強調しているが、この時点では、許可なくユーザーの個人情報にアクセスすることはフェイスブックの規約で認められていた。ケンブリッジ・アナリティカは、コジンスキーがやったことをより大規模に行なったのだ。

 2014年6月、ワイリーたちは10万ドル(約1100万円)の予算でこのプログラムを実行した。全員が見守るなか、最初はなにも起こらなかったが、ニックスが「どうなってるんだ、これは」と文句をいいはじめてすぐに最初のヒットがあった。その後は、洪水のようにデータが押し寄せてきた。

 データ・サイエンティストの一人が、個人情報が追加されるたびにビープ音がする仕掛けをつくっていた。たちまちビープ音が止まらなくなり、数字の桁数がつぎつぎと大きくなっていく。わずか数時間で、数百万人分の個人情報がコンピュータに収められた。

 ワイリーはこのとき、チーフ・テクノロジー・オフィサーがサーベルを使って、器用に祝杯のシャンパンの栓を抜く場面を描写している。リトアニアの極貧の農家に育った彼は、イギリスで自らを「ケンブリッジ・エリート」につくり変えようとしていた。常にイギリス上流階級のダンディーな身なりを崩さない彼のモットーは、「今日を楽しめ。明日は死んでいるかもしれない」だった。

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あらゆる個人情報が収集されて一人の女性の人生がコンピュータの中にコピーされた

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