人種間の対立をあえて煽るようなトランプ大統領の言動は
すべて選挙対策である、と言える根拠
【橘玲の日々刻々】

2020年6月18日公開(2020年7月1日更新)
橘玲

あらゆる個人情報が収集されて一人の女性の人生がコンピュータの中にコピーされた

“Mindf*ck”のもうひとつのハイライトは、構築したばかりの個人情報検索システムをスティーブ・バノンに披露するところだ。

 ケンブリッジ・アナリティカの事務所を訪れたバノンは、スタッフから「思いついた名前と州をいってください」と求められる。戸惑いながらも適当な名前と「ネブラスカ州」とこたえると、スタッフはそれをコンピュータに打ち込んだ。すると、ネブラスカに住む同名の女性がヒットした。この場面は以下のように描写されている。

 「スクリーンには、彼女のすべてが表示されていた。彼女の写真、仕事、自宅、子どもたちがどの学校に通っているか。彼女は2012年の選挙でミット・ロムニーに投票し、歌手のケイティ・ペリーが好きで、アウディを運転し……。我々は彼女のすべてを知っているだけでなく、情報はリアルタイムで更新され、彼女がフェイスブックに投稿すればそれを見ることもできた」

 フェイスブックの個人情報はクレジット会社や行政機関から購入したデータベースと統合され、彼女の収入、住宅ローンの残額、銃を所有しているかどうか、航空会社のマイレージ、婚姻状況や健康状態、さらにはグーグル・アースから彼女の自宅の衛星写真を表示することもできた。まさに彼女の人生がコンピュータの中にコピーされたのだ。

 このプレゼンテーションを何度か繰り返したあと、ニックスが「電話番号をくれないか」といった。コンピュータにたまたま表示されていた人物(女性)の番号を受け取ると、ニックスはスピーカーフォンにその番号を打ち込んだ。

 「何度か呼び出し音が鳴ったあと、誰かが電話をとった。どこかの女性が「ハロー」というのが聞こえた。ニックスは上流階級のアクセントで、「ハロー、奥様。突然の電話で恐縮ですが、ケンブリッジ大学から電話しています。社会調査を行なっていて、ジェニー・スミスさんとお話がしたいのですが」その女性は、私がジェニーだと答えた。ニックスは彼女に、データに基づいて質問しはじめた。

 テレビ番組「ゲーム・オブ・スローンズ」についてのご意見は? ジェニーはこの番組に夢中だとフェイスブックに投稿していた。前回の大統領選でミット・ロムニーに投票しましたか? ジェニーは「その通りです」とこたえた。ニックスは彼女の子どもたちが通っている学校の名前をあげた。ジェニーは「その通りです」とこたえた。バノンを見ると、顔全体に大きな笑みを浮かべていた」

 ワイリーはこの場面を「超現実的(surreal)」と述べているが、SFでしかあり得ないようなことが現実に起きたのだ。ワイリーたちがプロジェクトを起ち上げた2か月後、2014年8月には、フェイスブックから8700万人のユーザーの個人情報が収集された。

 バノンはこれをトランプの大統領選挙に活用しただけでなく、(ピーター・ティールが創設した)パランティアのスタッフがケンブリッジ・アナリティカに常駐してデータをコピーしたという。パランティアは米国内での個人情報の収集を禁じられていたが、民間企業から入手するのは適用除外とされていた。パランティアと契約するNSA(アメリカ国家安全保障局)がこの個人情報を手にしているのは間違いないとワイリーはいう。

 そればかりかワイリーは、米国市民の個人情報がロシアに流れたと主張する。ニックスには個人情報保護の観念はまったくなく、ロシア人との大きなビジネスを獲得するためなら喜んでデータを提供したにちがいないというのだ。

 ワイリーはこの出来事の直後にケンブリッジ・アナリティカを離れ、ブレグジットとトランプ大統領誕生のあと、内部告発者として英紙ガーディアンとニューヨーク・タイムズに自らの体験を語った。イギリスのテレビ局チャンネ4と組んでニックスを罠にかけ、スリランカの富豪に偽装した男に、賄賂や性的な陰謀(対立候補の自宅に若い女性を送り込んで一部始終を撮影する)を含むさまざまなサービスを吹聴するところを撮影させてもいる(この場面が放映されたことで、ケンブリッジ・アナリティカは解散に追いやられた)。

 ワイリーの証言に対してはどこまで真実なのか疑問視する声もあり、「ケンブリッジ・アナリティカからデータを持ち出してブレグジットやトランプの選挙に関与したのではないか」との批判に対してもはっきり答えてはいないようだ。

 しかしそれでも、ワイリーがケンブリッジ・アナリティカでの出来事を驚異的な記憶力で再現していることは間違いなく、(当然のことながら一定の装飾や隠蔽があるとしても)そのリアリティはきわめて高い。20代半ばの若者がわずか1年半のあいだに、アレクサンダー・ニックス、スティーブ・バノン、ロバート・マーサーなど「異形」の人物と次々と出会った体験は控え目にいっても驚くべきものだ。

 黒人男性の暴行死をきっかけにアメリカ社会が混乱しているが、ワイリーの警告を知れば、人種間の対立をあえて煽るようなトランプの言動はすべて選挙対策で、その目的は支持層の心理操作だとわかるだろう。11月の選挙で民主党が大統領職を奪い返すようなことになれば、トランプ政権がいったい何をやっていたのか、真実の一端が明らかになるかもしれない。

 これこそが(おそらく)、トランプとその側近たちがどんなことをしてでも再選を実現しようとする理由なのだろう。

 

橘 玲(たちばな あきら)

橘玲のメルマガ 世の中の仕組みと人生のデザイン 配信中

 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『上級国民/下級国民』(小学館新書)。

橘玲『世の中の仕組みと人生のデザインを毎週木曜日に配信中!(20日間無料体験中) 

TOP