京王電鉄 人事部 齋藤壮志 人事担当課長(右)京王電鉄 人事部 井出康仁 ダイバーシティ推進担当課長 兼 人事担当課長(中央)
京王電鉄 人事部 国本真輝 労務担当課長(左)
挑戦しやすく、多様なキャリアに
対応できる環境を整える
「鉄道会社」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、真面目で堅実、規律を重んじる組織像だろう。安全・安心を最優先に、正確な運行を支える。その姿勢は社会インフラを担う企業としての根幹であり、揺るぎない価値である。
しかし、人口減少やライフスタイルの変化、さらには新型コロナウイルスの感染拡大による移動需要の構造変化を経て、鉄道会社を取り巻く経営環境は大きく変わった。輸送収入に依存する従来型の成長モデルは転換期を迎えており、沿線価値の創出を軸とした新たな成長戦略が求められている。
京王電鉄が掲げる中期経営計画「HIRAKU2030」(2025〜30年度)は、まさにこの構造変化への対応を明確に打ち出したものだ。その中核の一つに位置付けられているのが、人的資本への投資である。
人事部の齋藤壮志・人事担当課長は、変革の前提条件をこう語る。
「安全・安心という基盤は全ての価値の源泉であり絶対に揺るぎません。その上で、環境変化に適応し、新しい価値を創出し続けるためには、社員一人一人の創意工夫と、失敗を恐れず主体的に挑戦できる組織であることが不可欠です。当社が“挑戦しやすい環境”と“多様なキャリアに対応できる環境”を整えていることを、より明確に伝えていきたいと考えています」
同社が求めるのは、「安全・安心」を基盤としながら、自らの強みを磨き、変化を前向きに捉え、外部の知見も取り込みながら新たな価値を創出できる人財である。多様な事業を展開する鉄道会社の高度な専門性を維持しつつ、従来の枠を超えた発想と実行力を持つ人財の存在が、今後の競争力を左右するとの認識がある。
「京王電鉄の人財戦略 五つの基本方針イメージ図」
オープンイノベーションを推進
社員の挑戦を制度として支える
こうした人財戦略を具体化する取り組みの一つが、長期戦略室が主動するオープンイノベーションの推進だ。京王電鉄では22年度から、自社の知見だけに依存するのではなく、外部の多様な知見を取り入れながら戦略を構築するという取り組みを進めてきた。
従来の鉄道会社は、駅を拠点とした流通・商業機能の拡充や不動産開発によって沿線価値を高めてきたが、顧客ニーズの多様化が進む中、これまでの手法だけでは新たな成長を創出することが難しくなっている。地域ごと、顧客ごとに異なる価値を提供するためには、組織の内外を問わない共創が不可欠となったのだ。
京王グループ価値創造プロセスの一つである「経営基盤」に資する活動を展開することで経営戦略と整合を取りながら、現在はエリア起点の「ROOOT」、事業部起点の「JISOU」、そして社員起点の「My turn」という三つの枠組みで新たな価値創出を推進している。中でも目を引く取り組みが、「My turn」である。これは、“挑戦・変革・共創”をキーワードに、事業課題ではなく社員自身の「やりたいこと」を起点としてイノベーションに取り組むプログラムで、初年度の24年度には255件の応募が集まり、失敗を恐れずに挑戦し続ける社員の活動がさまざまな部署で見られるようになった。
また、同制度の特徴は、起案者個人の挑戦にとどまらず、挑戦を支援する全社的な仕組みを整備している点にある。起案者以外の社員が「サポーター」として参画し、事業案のブラッシュアップや協業先の紹介、さらには審査会運営への関与など、多面的に支援する体制を構築した。単なるアイデアコンテストではなく、新規事業創出に対し全社的に関与する仕組みとして設計されている。
人事部の井出康仁・ダイバーシティ推進担当課長兼人事担当課長は、その意義をこう説明する。
「オープンイノベーションの推進に対するトップの思い入れは非常に強く、My turnについてもその思いを社員に届けながら、全社で取り組みの熱量を高めることを重視しました。最終審査会では、6人の社員が自らの事業構想をプレゼンテーションし、そのうち2件が事業化に向けて動きだしています。採択されたのは、水耕栽培と養殖を掛け合わせた循環型農業の活用により飲食店への食材の安定供給を目指す事業モデルと、温浴施設向けの支援サービス。いずれも鉄道事業の枠を超えた領域であり、社員の視点から新たな事業機会が見いだされた事例といえます。プレゼンを見た社員からは、『同じ社員として誇らしい』『自分も挑戦したい』という声が多く上がりました」
社員起点のオープンイノベーションプログラム「My turn」の最終審査会で。京王プラザホテルで開催され、2件の事業化が決定した
こうした制度は、新規事業の創出という直接的な成果に加え、組織文化そのものに変化をもたらしている。挑戦を評価し、支援する文化が醸成されることで、社員の主体性が組織全体に広がり始めているのだ。
本社ビル2階にある、社員同士のつながりを深めるコミュニケーション空間「NIKAI」。働き方が自由になりつつあることの象徴だ
「NIKAI」では、本社改装プロジェクトが進行中。メンバーは、既存の業務を継続しながら、他部署のプロジェクトに参画できる「ジョブジョイン制度」で手を挙げた社員たち。プロジェクト参加で得た知識や人的ネットワークを本業に還元することで、組織全体の強化につながる
人的資本の価値最大化に向けた取り組みは、新規事業創出にとどまらない。
京王電鉄では、既存業務を継続しながら他部署のプロジェクトに参画できる「ジョブジョイン制度」を導入している。この制度では、業務時間の約20%を新たなプロジェクトに充てることが可能であり、社員は現在のキャリアを中断することなく、新たな領域に挑戦できる。
従来の異動や出向とは異なり、本業を維持したまま他部署の業務に関与できる点が特徴だ。これにより、社員は新たな知識や人的ネットワークを獲得し、それを本業に還元することができる。人的資本の価値を組織内で循環させる仕組みとして機能している。
「プロジェクト数はまだ多くはありませんが、参画している社員はいずれも主体的に関わっています。プロジェクト参加で得た知見や人脈が本業に還元されることで、組織全体の活性化につながっていますし、プロジェクト結果を周知することで、社員のさらなる主体的な行動を支援していきたいです」(齋藤課長)
こうした取り組みは、個人の能力向上にとどまらず、組織全体の問題解決能力を高めていく。部署間の壁を越えた知識の共有は、新たな価値創出の基盤となるからだ。
柔軟な勤務制度を整備し
「社員が主役」の組織への転換を図る
人的資本の価値を最大化するためには、挑戦機会の提供だけでなく、人財の流出を防ぎ、長期的に能力を発揮できる環境を整備することも不可欠だ。
京王電鉄では、週4日・3日勤務を可能とする短日数勤務制度を導入している。育児や介護だけでなく、病気治療との両立にも対応しており、キャリアを中断せずに働き続けることが可能となっているのだ。
人事部の国本真輝・労務担当課長は、その意義をこう説明する。
「制度を利用する社員にとっては、キャリアを維持しながら働き続けられることが最大のメリットです。同時に、制度の存在自体が、社員全体に安心感を与え、長期的なキャリア形成を支える基盤となっています」
年次有給休暇取得率は80%を超え、男性の育児休業取得率は100%に達している。取得率は京王グループ全体でKPI(重要業績評価指標)として公表することで、人的資本に関する取り組みを経営指標として位置付けている。休みを取得しやすい環境を整備するだけでなく、実効性を経営レベルで管理している点が特徴だ。
また、鉄道業界初の月経プログラムの導入や、障がい児を育てる社員を支援する制度など、社員の実情に即した制度整備も進めている。これらは、現場の声・社員の声を起点として設計されたものであり、人的資本を重視する経営姿勢を象徴する取り組みといえる。
写真左は、月経痛を体験するイベントの様子。鉄道業界として初めて「月経プログラム」を2024年1月から導入した京王電鉄。女性特有の健康課題についての職場全体の理解浸透を目指す。また、各種のオリジナルハンドブックも作成し、制度を利用しやすい職場風土の醸成に努めている拡大画像表示
こうした一連の取り組みの本質は、「会社が主役」から「社員が主役」への転換にある。
「社員一人一人が主体的に未来を描き、その挑戦が組織全体の進化につながる。企業の持続的成長は、人的資本の力によって実現されるものです」と井出課長は語る。
路線が比較的コンパクトで堅実なイメージの強い京王電鉄だが、近年はオープンイノベーションへの積極的な参画を通じて、「面白いことをする会社」という印象へと変化しつつある。鉄道会社としての安定した基盤を持ちながらも、その枠にはまらず、新たな価値創出に挑む。社員の主体性を引き出し、新たな価値創出を可能にする組織へ。京王電鉄の人財戦略は、鉄道会社のイメージを書き換える挑戦でもある。
