2026年のコーポレートガバナンス・コード改訂で、知的財産は設備・研究開発・人的資本と並ぶ「成長投資・経営資源配分」の一要素として、取締役会が資本コストや資本効率の目標と併せて実行内容を説明すべき事項に位置付けられた。企業価値の源泉が無形資産へ移行する中、知財活動も「特許の保護」を中心とした「守り」から、事業戦略に直結する「攻め」へとパラダイムシフトが起きている。
しかし現実には、多くの企業の知財部門が「攻め」に転じ切れていない。知財ポートフォリオの拡大に伴い、増え続ける知財データの管理業務に忙殺されているからだ。サイロ化したシステムやExcelにデータが点在し、経営層や事業部門から提示を求められても、手作業での集計に膨大な時間を費やしているのが実態だ。
知財は「コスト」ではなく「投資」という哲学
ファクトリーオートメーションやヘルスケアドメインを中心に約50の事業を展開し、1万件以上の有効特許を持つオムロンも、かつては同様の壁に直面していた。同社の知的財産センタ センタ長の吉田隆彦氏は次のように振り返る。
「以前のシステムは独自カスタマイズを重ねた結果、アップデートに支障を来すほど複雑化していました。データの抽出・可視化に多大な手間がかかり、苦労して作成したレポートも、その時点の『スナップショット』にとどまり、変化に即応できなかったのです」
同社は、業界でもいち早く知財を経営資源と位置付けてきた。その根幹には「知財はコストではなく投資」という哲学がある。
「開発投資が『未来』への投資であるのに対し、知財は少し異なります。過去に築いた特許資産が現在の事業競争力の源泉となり、さらに未来の新技術に向けた権利も取得していく。過去・現在・未来の三つの時間軸を併せ持つ多層的な投資なのです」(吉田氏)
この投資を最大化するため、オムロンは「両利きの知財活動」を実践している。自社のコア技術を特許で堅固に守り抜く「独占排他型」と、パートナーと知財・無形資産を相互シェアし、ビジネスのエコシステムを形成する「共有共鳴型」を、ビジネスモデルごとに最適なバランスで使い分けているのだ(図1参照)。
さらに同社は、事業部門と共同で特許やノウハウ、データ、契約などを組み合わせ、事業の競争優位を構築する設計図「知財アーキテクチャ」を描いている。その上で、30年に向けて事業貢献度を示す「知財投資効率」を2.5倍に向上させるという野心的な目標を掲げている。だが、この高度な戦略を実行するにはハードルがあった。
「知財投資の配分を最適化し、注力事業を設定するには、現状のポートフォリオを正確に把握する必要があります。『見えないものはコントロールできない』からです。経営判断の材料とするためにも、知財投資をリアルタイムに可視化するインフラが絶対条件でした」(図2参照)
そこでオムロンが新たなインフラに選んだのが、クラリベイトの知財管理システム「IPfolio(アイピーフォリオ)」だ。約2年間の準備期間を経て、24年5月に本格稼働した。
数あるシステムの中からIPfolioを選んだ最大の決め手は、世界的なCRMであるSalesforceプラットフォームを基盤とした「データの取り出しやすさ」と「システム間連携(API)の柔軟性」だったという。
「システムに業務を合わせるのではなく、標準機能の良さを生かしつつ、必要なUIや画面のカスタマイズを柔軟に行いました。IPfolioはAPI連携に優れており、システム外にあるExcelやBIツールからも最新データに直接アクセスできます。手作業でデータをかき集める必要がなくなり、ダッシュボードを開けば常にリアルタイムの全体像を把握できるようになりました」
簡易な情報の確認には内蔵ダッシュボードを利用し、複雑な分析にはBIツールを連携させるといった使い分けが定着している。その結果、知的財産センタ内のメンバーを含めグループ全体で100人規模の業務負荷が劇的に軽減された。
定型業務から解放されたことで、知財部員は「知財アーキテクチャの構築」や「競争力の源泉の特定」といった、付加価値の高い戦略業務にリソースを集中できるようになったのだ。
さらにオムロンは、業務の変革に向けてAIの活用にも積極的だ。吉田氏はAIの価値を、定型業務の「超効率化」と「能力の拡張」の二つに定義する。すでに拒絶理由通知への応答案作成や契約審査、翻訳業務などに生成AIを導入。ナレッジを搭載したAIエージェントを「自分の分身」のように活用することで、品質向上と効率化の双方で大きな成果を上げている。
AI時代を見据え 経営と知財の連携に期待
AI時代を見据え、オムロンの知財戦略は次のフェーズに向かっている。吉田氏が期待を寄せるのは、IPfolioとAIのさらなる連携だ。
「例えば、IPfolioに拒絶理由通知が登録された瞬間、API連携されたAIが自動的にデータを取得・分析し、『他国ではこう対応していました』と自然言語でアドバイスしてくれる。そんな仕組みが実現できれば、非常に面白いことになると期待しています」
この構想を支えるのも、IPfolioの高い拡張性だ。クラリベイトはグローバルで信頼性の高い知財データベースやツールを提供し、システムとデータの両面からAI実装への投資を進めている。単なる管理ツールを超えた戦略プラットフォームとして、同社のソリューションが果たす役割は今後ますます大きくなるはずだ。
最後に、吉田氏は課題を抱える経営層や知財部門に向け、こう助言する。
AI時代を見据え、オムロンの知財戦略は次のフェーズに向かっている
「システムの導入目的は、企業の知財・事業戦略によって異なります。『何をやりたいか』を明確にし、『見える化』して経営判断の材料にする。これが知財を真の経営資産に変える第一歩です」
データとAIを駆使し、「見えない知財」を「見える経営資産」へと変えるオムロンとクラリベイトの取り組みは、日本企業が目指すべき「攻めの知財マネジメント」の道標となるだろう。


