北斎は数えで68か69歳の頃、中風(脳出血)に倒れている。その際、自らユズの薬を服用し、大いに効果があったという。その薬の作り方が『葛飾北斎伝』で紹介されているので現代語に訳してみよう。

 まず極上の酒1合(江戸時代の酒は今よりもずっと甘かった)を用意し、細かく刻んだユズ1個分を土鍋で静かに煮詰める。水あめくらいになったら出来上がり。さゆで薄めて飲み、24時間から36時間くらいの間には飲み切る。また、ユズは金属を嫌うので、切るときには竹のへらを用い、包丁、小刀の類いは使わない。健康的なゆず茶といった感じの飲み物だ。

 実はビタミンも豊富なユズは注目されている食材。皮と白い綿の部分に含まれるヘスペリジンというポリフェノールは、毛細血管の強化や血流の改善といった効果が期待されており、北斎が飲んでいた薬は現代的な観点からも理にかなっていたようだ。

 ユズのおかげか、北斎は病から復活。そして代表作『富嶽三十六景』を生み出す。彼の筆は最晩年に至ってもますますさえ、龍や獅子、鳳凰(ほうおう)など伝説の生き物を描き、死ぬ直前「天があと5年、私に命を与えてくれれば本当の絵師になれたのに」という言葉を残した。葛飾北斎は死の直前まで理想の美を追求した真の芸術家だった。

参考文献/『葛飾北斎伝』飯島虚心著、鈴木重三校注

(小説家・料理人 樋口直哉)