樋口直哉

小説家・料理人
1981年生まれ。服部栄養専門学校卒。料理人として活動する傍ら、2005年、『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。ほかの作品に『月とアルマジロ』(講談社)、『大人ドロップ』(小学館)、『星空の下のひなた。』(光文社)、『ヒマワリのキス』(徳間書店)、『アクアノートとクラゲの涙』(メディアファクトリー)がある。
食べることが好きだった杉田玄白は「歯」が悩みだった
樋口直哉
『解体新書』の翻訳、『蘭学事始』の著者として知られる杉田玄白。江戸時代にしては卓越した長寿者だった彼は、古希(70歳)を迎える前年「養生七不可」という健康長寿のためにしてはいけないことを子孫のために書き記している。
食べることが好きだった杉田玄白は「歯」が悩みだった
葛飾北斎が病から復活できたのは煮詰めたユズのおかげ?
樋口直哉
世界で一番有名な日本人画家は誰か? この質問に葛飾北斎と答える人は多いはずだ。88年の生涯で『富嶽三十六景』『北斎漫画』『東海道五十三次』など数多くの作品を残し、日本のみならず世界の画家、なかでもモネ、ドガ、セザンヌ、ゴーギャンといった印象派に大きな影響を与えた。
葛飾北斎が病から復活できたのは煮詰めたユズのおかげ?
自動車王ヘンリー・フォードは大豆を好み野草を食した
樋口直哉
自動車王ヘンリー・フォードは成功すると田舎で理想主義的な生活を実践しようとした。その食生活は牛乳を飲まず、肉も食べないというものだった。代わりに大豆を好み、甘いものを避け、野草を摘んでサラダやサンドイッチにして食べた。
自動車王ヘンリー・フォードは大豆を好み野草を食した
酒、ビフテキ、ウナギで長生き、西洋画の大家・梅原龍三郎
樋口直哉
「葬式無用 弔問供物固辞する事 生者は死者の為に煩(わずら)わさるべからず」西洋画の大家、梅原龍三郎の訃報と共に報じられたこの遺言は世間の人々に強い印象を残した。
酒、ビフテキ、ウナギで長生き、西洋画の大家・梅原龍三郎
第43回
1世紀を生き抜いた吉行あぐりのパワーの源はごく普通の献立
樋口直哉
吉行あぐりは日本の美容師の草分けで、1997年4~10月に放送されたNHK連続テレビ小説「あぐり」のヒロインのモデルとなった。2005年に閉店するまで、90歳を過ぎても現役の美容師として働いたことが、NHKのドラマ放映とともに話題になった。
1世紀を生き抜いた吉行あぐりのパワーの源はごく普通の献立
第42回
酒と少々のつまみを食事とした日本画の大家・横山大観
樋口直哉
日本画家の横山大観が師、岡倉天心から学んだのは芸術だけではなかった。一生愛することになる日本酒である。大観はもともと、酒が飲めなかったというが、天心に勧められるまま、酒を愛するようになる。
酒と少々のつまみを食事とした日本画の大家・横山大観
第41回
白寿まで生き抜いた野上弥生子、抹茶とお菓子が朝ご飯代わり
樋口直哉
死の直前まで旺盛に仕事に打ち込んだ作家がいた。明治、大正、昭和を生き抜き、多くの作品を世に残した野上弥生子である。弥生子は1885(明治18)年に大分県で生まれた。
白寿まで生き抜いた野上弥生子、抹茶とお菓子が朝ご飯代わり
第40回
長寿だったミケランジェロは動物性脂肪を程よく摂取していた
樋口直哉
「盛期ルネサンスの三大巨匠」といえば一般的にレオナルド・ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロの3人を指す。ルネサンスという同時代に生きた彼らの中で最も長生きしたのがミケランジェロだ。
長寿だったミケランジェロは動物性脂肪を程よく摂取していた
「行革の鬼」土光敏夫は食生活も徹底して合理的だった
樋口直哉
日本を代表する電機メーカーの一つ、東芝。2009年から6年間にわたって続けられたという粉飾決算が報じられ、買収した子会社が抱えた巨額の損失などもあって、ここ数年、経営危機がささやかれている。東芝は今から数十年前、1960年代にも一度、経営危機に陥っている。そのとき、改革を主導し、見事再建に導いた経営者が土光敏夫である。
「行革の鬼」土光敏夫は食生活も徹底して合理的だった
第35回
96歳まで生きたカゴメ創業者はトマトで日本人の健康に貢献した
樋口直哉
トマトは江戸時代に観賞用として珍重され、明治時代以後、日本に広まった。そこに大きく貢献したのが蟹江一太郎、トマトケチャップなどで知られる企業、カゴメの創業者である。
96歳まで生きたカゴメ創業者はトマトで日本人の健康に貢献した
第34回
最も長生きした将軍・徳川慶喜は豚肉好きだった
樋口直哉
「豚一殿」というあだ名で呼ばれた人物がいた。徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜である。もちろん、いいあだ名ではない。当時、日本人は公には獣肉を食べなかった。堂々と食べる慶喜を見て、世間の人は驚き、こんな風にささやいたのだ。
最も長生きした将軍・徳川慶喜は豚肉好きだった
第33回
ブドウの棚栽培を広めた戦国時代の医者の「長寿伝説」
樋口直哉
山梨県=甲州でブドウ栽培が盛んになったのにはいくつかの理由があるが、この地に棚栽培を広めたのは戦国時代から江戸時代初めにかけて活躍した医者、永田徳本といわれている。
ブドウの棚栽培を広めた戦国時代の医者の「長寿伝説」
第32回
宇喜多秀家、八丈島流刑でも長寿の秘密は名産のアシタバ?
樋口直哉
関ケ原本戦で破れた西軍の大名で最も遅くに没したのは誰だろうか。調べてみると意外な人物だった。備前国を治めていた宇喜多秀家である。秀家は西軍が壊滅した後、薩摩に身を潜めるが、結局幕府に出頭。八丈島への流罪に処された。
宇喜多秀家、八丈島流刑でも長寿の秘密は名産のアシタバ?
第35回
日野原重明先生は日本人の長寿にも大きく寄与した
樋口直哉
かつて「成人病」と呼ばれていた病気の罹患には生活習慣が関わっていることがわかり、「生活習慣病」と改められた。この改称を主導した医師の一人が聖路加国際病院の名誉院長、日野原重明先生である。
日野原重明先生は日本人の長寿にも大きく寄与した
第51回・最終回
「ソーセージの父」が遺した本当の手作りの味を復刻
樋口直哉
どのような食べ物にも歴史があり、人の物語がある。ここ千葉県山武郡横芝光町は日本のハム・ソーセージの父と呼ばれる大木市蔵の生誕地だ。かつてはあった大木ハム千葉工場も現在ではなくなり、町内でも大木を知る人が少なくなりつつあった。
「ソーセージの父」が遺した本当の手作りの味を復刻
第50回
なぜカツオの塩漬けは日本で唯一、伊豆だけに残ったのか
樋口直哉
お正月に食べる魚はブリや鮭が一般的だが、静岡県伊豆地区ではカツオの塩漬け=潮カツオを食べる風習が残っているという。西伊豆田子町にある創業1882年のカネサ鰹節商店を訪れ、5代目店主芹沢安久さんからお話を伺った。
なぜカツオの塩漬けは日本で唯一、伊豆だけに残ったのか
第34回
世界最高齢の女性は睡眠を重要視、酒・たばこも遠ざけた
樋口直哉
昨年5月、ギネス世界記録上、〈存命人物のうち世界最高齢〉と認定されていた女性が亡くなった。彼女の名前はスザンナ・ジョーンズ。1899年生まれというから驚きだ。彼女は死の間際まで食欲旺盛で、ベーコンが好物だった。
世界最高齢の女性は睡眠を重要視、酒・たばこも遠ざけた
第33回
98歳まで生きた栄養学の母が戦前に提唱した「バランスのいい食事」
樋口直哉
毎日の料理に使う計量カップや計量スプーンを考案したのは誰かご存じだろうか?答えは香川綾。香川栄養学園や女子栄養大学の創設者にして日本栄養学の母である。
98歳まで生きた栄養学の母が戦前に提唱した「バランスのいい食事」
第49回
絶滅寸前の国産はだか麦、技術と工夫で現代に蘇る
樋口直哉
はだか麦という食べ物をご存じだろか。大麦の一種で、手で揉めば簡単に外皮がはがれることからその名前がついた。鎌倉時代以来の栽培の伝統があるが、日本人の食生活の変化に伴い近年では作付面積が激減している。
絶滅寸前の国産はだか麦、技術と工夫で現代に蘇る
第32回
天才サルバドール・ダリの長寿を支えたオリーブ油
樋口直哉
シュールレアリスムを代表する画家、サルバドール・ダリ。才能ある人物は早世するとよく言われるが、自らを“天才”と表現してはばからなかった彼は意外にも(?)長寿者だった。
天才サルバドール・ダリの長寿を支えたオリーブ油
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