「葬式無用 弔問供物固辞する事 生者は死者の為に煩(わずら)わさるべからず」
西洋画の大家、梅原龍三郎の訃報と共に報じられたこの遺言は世間の人々に強い印象を残した。
裕福な家に生まれ、15歳で絵をかきはじめた梅原は、ルノアールを敬愛し、大胆な色彩で裸婦や日本各地の景色、滞在した中国や何度も訪れた欧州などを描いた。彼の作品は東京国立近代美術館などに所蔵されており、教科書などで触れた人も多いだろう。
作家の山田風太郎は『人間臨終図巻』の梅原の項にこう記している。
〈彼は三カ条の健康法を守った。
一、寝酒を少量飲んでなるべく熟睡を計る事。
二、日がながくなれば午睡する事。
三、腹のへるのを待って九分目に食う事〉
そして、89歳の時の「朝日新聞」のインタビューの言葉を引く。
〈「食事は、朝はまあトーストにキャビアだ。昼は牛乳を主としたスープにバターを入れ、塩と胡椒(こしょう)をふりかけたもの。夕飯はウナギの蒲焼に中華料理を三日に一度。……」
朝からストレートのスコッチ・ウイスキーを飲み、ビフテキと鰻(うなぎ)を好み、怖(おそ)ろしいヘビイスモーカーである美食生活は晩年まで変わらなかった〉