それぐらい徹底して取り組まないと、犯罪との接点ができてしまう、という危ういビジネスということだ。
手本としたのはアメリカの州法というが、100を超えるカジノがあるアメリカで実施されている制度を、数ヵ所しかない日本のカジノの為に作るというのはどういうことか。役所や厳重な取締機関を作ってまでカジノは開業する必要があるのだろうか。
表向きは「全国に最大10ヵ所」となっているカジノだが、誇大広告ではないか。カジノ資本は乱立を望んでいない。
IRとはホテルの娯楽場にカジノがあります、という程度のものではない。国際会議場や劇場など娯楽施設などの複合施設の中核にカジノを置く複合施設だ。窮乏化する地方経済を何とかしたい自治体が誘致に動いているが、カジノ資本は地域おこしに手を貸すほど甘くはない。人が集まり儲けられる所にしか立地しないだろう。
「窓がない。鏡がない。時計がない。カジノはそのような空間です」
週刊エコノミストの金山編集長が、デモクラTVに出演しカジノをこう語った。
外が分からない。自分が見えない。時の変化を感じられない。我を忘れ、熱くなった頭で賭博にのめり込む。そんな異様な空間で、カネを吸い取られる人の犠牲で利益を稼ぐ。だから社会は賭博を禁止してきた。
胴元が儲かる。豪華な施設を作っても利益は回収できる。許認可を得るには工作資金が要る。代理店やロビイストを雇って世論工作をする。政界や自治体への工作も欠かせない。カジノ資本は、期待される利益の一部をあちこちに撒いて日本上陸を目指す。それだけのコストを払ってもカジノは儲かる。コストと利潤を負担するのは、博打で負ける人たちだ。
実態を知れば知るほど「カジノ解禁は国民論議に耐えられるのか」と疑問に思う。
推進しているのは「おこぼれ」がもらえそうな人たちだが、例えば横浜の人は、山下公園の先の海側にカジノができることをどう思うだろう。利害関係者が必死になって推進の旗を振っているが、大多数の人は利害と縁がない。損得抜きの目で眺めればあまりにも問題が多すぎる。
政府は、これから「実施法案」を作成し、来年秋の国会に上程する。問われるのは国会議員の見識、メディアの姿勢、国民の品性だろう。本番はこれからだ。



