人気ドラマですっかり有名になった「金融庁検査」。金融における信用維持と預金者などの保護を目的に、銀行法などに基づいて検査官が銀行などの金融機関に立ち入り、業務内容や財務状況をチェックします。この制度の始まりは、明治維新直後にさかのぼります。

 1870(明治3)年10月、大蔵官僚だった伊藤博文が渡米して、貨幣制度、公債銀行制度を調査しました。帰国後、同僚の渋沢栄一らに立案を命じた「国立銀行条例」が72年11月に布告されました。国立銀行とは米国のナショナル・バンク、つまり国の定めた法令に基づいて設立された私立銀行に倣い、渋沢が直訳した名称です。

 条例布告の後、まもなく、大蔵省を辞した渋沢栄一が設立した第一国立銀行はじめ4行が誕生し、瞬く間に全国的な銀行設立ブームとなりました。ところが、新たに銀行業を営む者のほとんどが、銀行簿記や会計、その他の銀行業務に関する知識を持ちません。いずれ放漫経営や不良債権問題によって経済が痛めつけられることは、火を見るより明らかな状況だったのです。

 欧米では、個々の銀行を監督官庁が直接検査して問題点を指摘し、改善指導を通じて育成する手法が取られていました。一方、当時の日本の大蔵省には銀行実務に通じた人材がいません。

アラン・シャンドアラン・シャンド(1844~1930)と、『銀行簿記精法』(大蔵省・1873<明治6>年12月)。国立銀行設立のためにシャンドが講述したものを翻訳、日本における最初の複式簿記書となる。
(写真/一橋大学附属図書館所蔵)

 窮した政府は、英国人の銀行家アラン・シャンドを雇い、近代的な銀行実務の指導を請いました。シャンドは大蔵省内に銀行学局を開設し、大蔵官僚たちに経済学の基礎から銀行論、簿記などの厳しい特訓を施しました。

 このときの教え子に、外山脩造(とやましゅうぞう)がいます。辣腕検査官として活躍した後、アサヒビールや阪神電鉄を創業した人です。

 官僚の模範として、シャンド自らも検査に臨みました。最初の対象は第一国立銀行。頭取の渋沢栄一が「貸金などについて種々(くさぐさ)、やかましく言われた」と述懐するように、大層厳格で精緻な検査でした。そして「今、考えてみると、私には大変に利益があったと思う。なるほどああいう覚悟でなければ銀行業はできない」と回顧するほど、シャンドから多くを学びました。

 シャンドはまた日露戦争時、日本銀行副総裁として戦費調達のためロンドンに赴いた高橋是清に援助を惜しみませんでした。英国の銀行の支配人として横浜にいた頃、少年時代の高橋が身の回りを世話するボーイだった縁からです。

 異国から訪れた一人の銀行家の隠れたリーダーシップによって、金融後進国だったわが国の銀行と経済は、その後、大きく飛躍しました。

Maho Shibui
1971年生まれ。作家
(株)家計の総合相談センター顧問
94年立教大学経済学部経済学科卒業。
大手銀行、証券会社等を経て2000年に独立。
人材育成コンサルタントとして活躍。
12年、処女小説『ザ・ロスチャイルド』で、
第4回城山三郎経済小説大賞を受賞。 

 

 

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