根津嘉一郎
出典「国立国会図書館」

 東武鉄道グループ創業者の根津嘉一郎は1860(万延元)年、甲斐国正徳寺村(現・山梨市)の裕福な名家の次男として生まれました。病弱な兄に代わって家督を継いだもの、株式相場にのめり込み、暴落で大きな借金を抱えます。甲州出身の実業家グループである甲州財閥の雄、雨宮敬次郎から「相場で一時の利を追うよりも事業を経営し、事業を盛り立ててその利益を享受することにせよ」と助言を受けて実業家に転身した根津は、多くの会社の再建を手掛けるようになりました。

 まず、経営不振に苦しむ東京電灯(東京電力の前身)の株式を甲州財閥の支援を得て買い集め、取締役として再建に取り組みました。メモ用紙は折り込み広告の裏を使う、無駄な電灯は消すなど徹底的に冗費を省き、旧経営陣が手を出せなかった石炭購入に関する仕入れ係と業者の癒着にメスを入れ、暴力をも伴う脅迫に屈することなく大幅なコストダウンを実現。経営合理化策を次々と断行し、銀行からの借入金を返済して信用回復に努めました。一方で、社債発行で調達した資金で別の電灯会社を買収するなど攻めの施策も実行し、東京電灯の再建を成功させたのです。

 その後、根津はいくつもの会社を再建しました。経営難に陥っている企業の株主となって経営に参画し、再建して株価を高める手法で「ボロ買い一郎」と揶揄されもしましたが、その目利きと手腕は世の認めるところでした。

 1905(明治38)年、根津は経営不振にあえぐ東武鉄道経営陣の要請を受けて社長に就任。社内改革や事業整理を進めながら、周囲の反対を押し切って増資で得た40万円を投じ、利根川架橋建設を断行し、鉄路を北へ延伸しました。さらに、鉄道事業の収益向上には集客が欠かせないと看破し、反対する住民を説得しながら日光・鬼怒川温泉の開発や工場誘致などを通じて地域振興に取り組みました。再建を果たした東武鉄道の発展を象徴するのが、東京スカイツリーといえそうです。

 日本麦酒鉱泉(現・アサヒビール)、富国徴兵保険(現・富国生命保険)ほか電力、石油、製粉、紡績など、根津が功績を残した業種は多岐にわたります。資本関係を持った鉄道会社は24にも及び、鉄道王の呼称も冠されました。会社再建は容易ではなく、抵抗にも遭いますが、「全然怒らなくて、世の中が無事に過ごせるというわけにもいかない。怒るときは大いに怒ってもいい」と、喧嘩をいとわなかったリーダーの負けじ魂が、勃興期の日本資本主義に飛躍の翼を与えたのです。

Maho Shibui
1971年生まれ。作家
(株)家計の総合相談センター顧問
94年立教大学経済学部経済学科卒業。
大手銀行、証券会社等を経て2000年に独立。
人材育成コンサルタントとして活躍。
12年、処女小説『ザ・ロスチャイルド』で、
第4回城山三郎経済小説大賞を受賞。 

 

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