日本を支え、世界に羽ばたいた
企業を育んだビル

 鉃鋼ビルディングは、戦後の復興期の1949(昭和24)年に港区で鉃鋼会館として創業した。増岡登作・初代社長は、企業の要請に応えられるビジネスセンターの必要性に気付き、戦災のがれきで埋め立てられた現在の土地に鉄筋鉄骨コンクリート造り、地上8階・地下2階の、当時としてはまれな近代高層ビルを1年9カ月の短期間で完成させた。企業の期待は大きく、落成披露を待たずに30社の契約がまとまったという。その多くは八幡製鉄本社をはじめ、鉄鋼関連の諸団体だったこともあり、名称が「鉃鋼」となった。
 第二鉃鋼ビルディングには、当時としては珍しい全館空調設備が導入され、窓には紫外線よけの英国製ガラスが採用された。第一の各階と渡り廊下で連続させる設計となり、東京駅八重洲口から呉服橋に至る200メートルに及ぶ巨大オフィスビルが完成し「一大経済センター」と呼ばれたほどの威容を誇っていた。