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背中合わせの左翼社会主義と国家社会主義
「企画院事件」の波紋(1940-1941)

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1951年の日本社会党分裂後、左派社会党政策審議会長、そして書記長となった和田博雄は、もともと企画院の革新官僚で、自由党の閣僚だった。それにもかかわらず、社会党の大幹部へと転身したのは、一体なぜだったのか。

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