議論の積み重ねが「いじめ」の予防に

日常的な問題も、議論を尽くすとさまざまな論点が浮上する。普段から自由に意見を出し合うことが、究極的にいじめ問題の解決につながっていく イラスト/ソノダナオミ

「全員で決めたことには従うべき」「なぜ、毎日遅刻する不真面目なCさんのために……」という最初の2つの意見は、「何のために法律やルールが存在するのか」「民主主義とは何か」を考えるのにとても良い題材になります。

 三つ目の「この程度なら問題ない」という考え方は、「人に何かしらのペナルティーを科すには、事前にその要件や内容を定め、明示しなければならない」という手続保障の考え方を学ぶきっかけになります。

 そして、最後の「Dくんたちが怒るのは当たり前」という意見は、前段で触れたように「怒り」自体は尊重されるべきものであること、つまり、「内心の自由」(日本国憲法第19条)の意味を知ることにつながります。

 まれに、「そもそも、合唱コンクールに全員が強制参加させられる理由が分からない」「任意参加にすればこうした事態は起こらないはずだ」という鋭い意見が出ることもありますが、このような意見が出ると、横で授業を見ている担任の先生が苦笑いされることがあります。先生としては、全員参加で行う行事を通して生徒たちが互いに支え合い、協力し合う経験をしてほしいという思いがあるのでしょう。

 近年、「理不尽な校則」が問題視されていますが、学校内で“当たり前”になっていることについても、生徒さんたちや先生方で大いに意見を出し合い、議論する価値があります。議論の積み重ねが、学校内の風通しをより良くするからです。そして、それは結果として、「いじめ」問題の解決、つまり、「いじめ」が起こりにくくなる環境を整えることにつながっていくのです。

 この事例における最大の問題は、Cさんがクラスメートの行為によって心身の苦痛を感じている可能性が高い、ということです。どのような意見を持つ人でも、この点だけは否定できません。