できない者の排除でなく、できる仕組みをつくる

 確かに、一生懸命練習に取り組んでいたDくんたちが、Cさんに怒るのは無理もありません。その「怒り」自体は、憲法第19条の「内心の自由」の観点から尊重されなければなりません。しかし、モノマネをしてCさんを笑い者にしたり、「遅刻魔」と呼んだり、無視したりするなど、Dくんたちの問題解決の「手段」は誤りだったと言わざるを得ません(第1回参照)。

 これは、「子どもの尊厳を守る」といういじめ防止法の趣旨から当然にいえることですが、純粋に「目的達成のための手段の選択」という意味でも誤りである可能性が高いのです。Dくんたちは「クラスの輪を乱すまい」としているように見えて、実は、「できない者を排除」しているにすぎないからです。「排除」は、人を委縮させます。いつ自分が「排除される側」になるか分からないからです。「何か失敗すれば、次は自分の番かもしれない」と怖がっている人がいるかもしれません。少なくとも、このクラスが「優勝に向けて、みんなが伸び伸びと力を発揮できる状況」にないことは明らかでしょう。

 私がこの事例を設定するにあたって、Cさんの“落ち度”に「遅刻」を選んだのは、遅刻は「単なる努力不足」とか、「個人の問題であって全体問題ではない」と考えられがちだからです。もちろん、そうした側面が“全くない”とはいえません。

 しかし、学校行事にしろ、会社における労働環境にしろ、私たちの社会において「個人だけで解決すべきこと」など、実はそれほど多くはありません。多くの場合、“仕組み”を変えることで状況をより良くすることができます。その“仕組み”を変え、一人ひとりを大切に扱える環境を整えるために、法律を活用し、ルールをつくっていくことが大切なのです。

 事例でも、Cさんを排除せず、かつ、Dくんたちの目的も達成し得る“仕組みづくり”は可能です。そのためにクラス内のルールを考えていく姿勢が、本質的な学びにつながります。実際、授業では、生徒さんたちから「朝練を10分遅れで開始する」「朝練の最初の10分は任意参加にする」「朝練をやめて昼練にする」「練習自体を任意参加にし、その分みんなが自然と集まってくれるような楽しい練習にする」「合唱コンクール自体を任意参加にする」など、多くの建設的な意見が出ています。