松崎しげるさんが、加齢性難聴であることが判明したのは3年ほど前。すぐに補聴器の使用を決断した。聴力の低下に付随するつらい経験を経て、今は「聞こえ」の大切さと素晴らしさを実感している、という。
1949年生まれ。77年「愛のメモリー」で日本レコード大賞歌唱賞受賞。その歌唱力・パワフルな活動で注目を集める。07年1月に誕生の二女含め1男2女の父でもある。
「補聴器を着けることに抵抗感は少しもなかったですね。目が悪くなれば眼鏡をかける。それと同じように、聞こえが悪くなったならば補聴器で補えばいいという、前向きな気持ちで補聴器を使う決心をしたんです」
そう語ってくれたのは、歌に演技にとパワフルな活動でおなじみの、松崎しげるさんだ。一昨年に還暦を迎えたとは思えないほど、元気で若々しい松崎さんだが、3年ほど前に、加齢性難聴であることが判明したという。そんな松崎さんが、聴力の低下を意識するようになったのは、7~8年前のことだ。
コミュニケーションが
取れないつらさを体験
「女房に『パパ、テレビの音が大きいよ』と言われたことが、はじまりでした。同じくらいの時期に、女房の言葉が聞こえにくいと感じるようにもなってきていた。それでも、さほど気にはしていなかったんですが、ある日、タクシーのなかで隣に座ったマネージャーと運転手さんが話をしているとき、運転手さんの言葉がまったく聞き取れなかったんです。聴力の低下を、ハッキリと意識しはじめたのはこのときです」
とはいえ、仕事や生活には、別段、支障をきたさなかったため、しばらくは、放っておいたという。
「レコーディングのときはヘッドホンを使って音の調節をするので、しっかりと聞こえていましたからね。でもそのうちに、テレビ番組で司会者の言うことが聞き取れないことが出てきた。しかも、打ち合わせの際に話の内容が把握できなくなってきていたんです。そんなときは聞き返すのも失礼かなと思ってニコニコしながらうなずいてわかったような顔をしていた。これは“微笑み返し”といって、聴覚が衰えはじめた人によくある兆候らしいと後から聞きましたが、まさにその状態になっていたんですね。さすがに、これはまずいと思うようになりました」
「うつ」を疑うほど
追い詰められたことも
また、乗り物に乗っているときに、人の声が雑音にかき消されて聞き取れない。仕事先で後ろから声をかけられても、まったく気づかず、「さっき呼んだのに」と言われることもしばしばあったそうだ。
「人とうまくコミュニケーションが取れなくなったことで、精神的にかなりつらくなりました。『もしかしたら、うつかな』と思うほど、落ち込んでしまったんです。そんなことを医師に相談したら『難聴が原因のこともある』と教えられました」
そのとき初めて、耳鼻咽喉科を受診し、「加齢による中等度の難聴」であることが判明した。