チーム解散の危機に青ざめ
世界初のテレビを試作
バブル崩壊前の85年に、出光は石油事業以外で収益の柱を育てようと、培ってきた石油化学分野の技術を応用して有機EL材料の研究に着手した。目指したのは、開発が最も難しいとされた青色発光。有機ELテレビの実現を目標に据えていた。
東京工業大学で触媒反応を研究した舟橋は大学院を卒業後、93年に出光に入社。97年から有機EL材料の研究開発チームに加わった。研究開始から十余年がたち、同社の経営層から廃止対象事業の候補としてチームに厳しい目が向けられるようになったころだ。
青い光を放つ発光材料「ジスチリルアリーレン」を89年に発見しており、後の成功につながる技術はすでに生み出されていた。この寿命と耐久性、光の量が実用化への課題だった。
舟橋が研究開発チームに加わった97年には、課題を克服する発光材料「スチリルアミン」を開発。今にして思えば、着実に実用化への歩みを進めていた。
舟橋の上司で開発当初から研究に携わっていた細川地潮(故人)はチームメンバーを叱咤激励すると同時に、「金にならない研究なんか、やめてしまえ」と言う経営幹部らに「やらせてください」と直談判した。舟橋は「結果を出さなければ」とプレッシャーを感じた。
いくら優れた技術を生み出しても、ビジネスとして成功しなければ宝の持ち腐れ。ならば、技術が“金のなる木”だと証明する必要があった。
解散の危機に青ざめた研究開発チームは、ようやくともり始めた出光ブルーの火を消さないために、具体的に結果をかたちにしようと決めた。
それが、開発した青色発光材料を使った、世界初の有機ELテレビの試作品である。普段は“化学屋”として研究に没頭していた舟橋が機械をいじり、試作に励んだ。
97年に米国のボストンで開催された国際ディスプレー展示会。出光が発表した世界初の有機ELテレビは、世界中の電機メーカーから注目を集め、試作品は大成功を収めた。形勢は逆転し、開発をさらに加速させることになった。
それでも実用化のゴールはまだまだ遠かった。有機EL材料の商品化への課題は大きく二つあった。
一つ目は色の純度。97年に開発した発光材料は「ライトブルー」、つまり水色だ。色の再現性を高めるためには純粋な青色が必要で、ライトブルーではその純度が足りなかった。
二つ目は耐久性。商品の基準として1万時間の寿命が求められる。純粋な青色はその基準を満たしていなかった。



