備えはいつも
地震を追いかける
地震の歴史とは、地震に対する備えが、いつも被害を追いかけてきた歴史でもあります。大地震が起こるたびに、それまでになかった大規模な被害が起きてきました。その一つが埋立地の液状化です。東日本大震災では、浦安の市街地面積の85%もが液状化の被害を受けました。しかし、地震による液状化そのものは昔からありました。天正の地震(1585年)では、今の富山県高岡市にあった木舟城が、一瞬のうちに液状化した地面にのみ込まれて消えてしまったといわれています。あるいは、超高層ビルが乱立する現代だからこそ、長周期表面波(共鳴現象が引き起こす振幅の大きな横揺れ)による被害も心配されています。
そのような被害を最小限に抑えるためにも、地震に対する備えが大切になるのです。そもそも地震とは、地球にとってありふれた現象で、日本に起きる地震は、日本人や先住民族が住み着くはるか前から繰り返されてきました。
自然現象としての「地震」と、社会現象としての「震災」は、まったく別物です。同じ大きさの地震でも、それがいつどこを襲うか、人間がどの程度地震に備えているかで、災害の大きさは変わってくるからです。
日本人の知恵が
試されるとき
阪神・淡路大震災で倒壊率が高かったのは81年以前に建てられた建物でした。ならば、老朽化した木造家屋は新しい家に建て替えたり、耐震補強をしておく。あるいは液状化の危険がある地域では、あらかじめ液状化対策の工事を施しておく。警察や消防などの救援隊が来るまでには想像以上の時間がかかるため、普段から住民同士で助け合うシステムを構築しておく。そのような努力をしておくことで、被害は小さくなるはずです。
東京都は、東京湾北部でM7・3の地震があった場合、死者は約9700人という被害予測(表参照)を出しています。私はこの被害想定は甘過ぎるのではないかと考えています。最も恐れるのが火災です。関東大震災で犠牲になった10万人のうち、9割は火災が原因でした。
今度襲ってくる大地震のときのために、大震災を生まない備えをしておくことができるかどうか──今こそ人間の知恵が試されているときだと思います。