岩崎弥太郎と渋沢栄一。誰もが知る、明治の日本を代表する実業家です。
三菱を創業した岩崎は1835(天保5)年、土佐藩の地下(じげ)浪人の長男として生まれました。地下浪人は土佐藩独特の身分で、武士でありながら武士ではないような立場です。名字帯刀は許されているものの、路上で藩主山内家筋の上士とすれ違うときは、農・工・商身分の者と一緒に土下座しなければならないなど、およそ武士としての特権は一切持ちませんでした。
1840(天保11)年に生まれた渋沢は、武蔵国の豪農の子です。父親は村役人に任じられ、農民ながら名字帯刀を許されていました。養蚕や藍玉の生産で成功を収め、一家は経済的にも恵まれていました。後に第一国立銀行(現:みずほ銀行)はじめ約500社もの企業を設立・育成して、日本の「資本主義の父」と呼ばれました。
生い立ちのずいぶん異なる二人には共通項があります。ブレない信念を持っていたことです。
近現代PL/アフロ
岩崎弥太郎は、私企業の利益の極大化にまい進しました。一方、渋沢栄一は、日本の国家繁栄のためには産業の育成が重要であると考え、義にかなった利を求めて「道徳と経済の合一」という信念を貫き通しました。
岩崎が「会社に関する一切のこと…(中略)…すべて社長の特裁を仰ぐべし」と単一資本・社長独裁主義を掲げたのに対し、渋沢は多くの人の資本と知恵を結集するのが近代経営であると説き、合本主義、多数の株主による会社の設立を推進しました。
このような信念の違いが原因となって、二人は幾度もビジネス戦争を勃発させてはぶつかり合いました。とはいえ、リーダーの持つ信念として、どちらが正しいかを決することはできません。両者の築き上げた企業、グループが双方とも、今も生き残り日本経済の中で重要な位置を占めていることを見れば明らかでしょう。
戦略や戦術は、時代や環境の移り変わりに応じて変えていくべきものです。まして、環境が目まぐるしく変化する昨今、朝令暮改が求められる場面すら少なくありません。それでもなお、根幹に当たる信念を変えてはなりません。信念や理念を共有するからこそ付いてくる人がいて組織が成り立つものですし、信念こそ周りを動かす力になるからです。
信念に正解はありません。しかし、ブレることなく信念を貫く姿勢こそがリーダーには不可欠なのだと、二人の傑物が教えてくれます。
1971年生まれ。作家
(株)家計の総合相談センター顧問
94年立教大学経済学部経済学科卒業。
大手銀行、証券会社等を経て2000年に独立。
人材育成コンサルタントとして活躍。
12年、処女小説『ザ・ロスチャイルド』で、
第4回城山三郎経済小説大賞を受賞。