ユリウス・カエサルと徳川家康。英雄2人の後継者選びには興味深い共通点があります。

協調型のめいの息子を後継者に指名したユリウス・カエサル ©Rue des Archives/PPS

 紀元前44年3月15日のカエサル暗殺の後、遺言状が公開されました。後継者として指名されたのは、弱冠18歳のガイウス・オクタヴィアヌスです。カエサルのめいの息子という血筋ながら特筆する家柄でもなく、政治キャリアもないに等しい若者でした。虚弱体質で、性格は慎重。

 演説が苦手で文章力に乏しく、軍事の才能も心もとない。人々は当初、故人の判断をいぶかしみました。ところが、オクタヴィアヌスは、見事に後継者の役割を果たしたのです。

 まず、カエサル暗殺の黒幕と目される元老院と和解し、尊重の姿勢を見せながらも権限の縮小を図って、帝政の道を開きました。税制、軍制の改革、内閣制の導入、公共事業、地方分権の推進を次々に行い、限界に達していた政治・社会システムを再構築。この後続く「ローマの平和」(パクス・ロマーナ)の礎を築いたのです。

 自身を守るためには暗殺も辞さないような相手の既得権益にメスを入れる困難な取り組みでしたが、オクタヴィアヌスはその慎重さをもって、外堀を少しずつ埋める方法で進めました。カエサルの才気に走った強引さとは対照的です。戦争、演説といった苦手な面は優秀な部下たちに任せ、彼らの能力を発揮させることで解決しています。独裁型リーダーだったカエサルと異なり、オクタヴィアヌスは協調型のリーダーでした。 

温厚で律儀が取り柄の三男・秀忠を選んだ徳川家康 ©Mary Evans/PPS

 徳川家康が後継者に選んだのは三男・秀忠です。温厚で律儀が取りえ、凡庸な人物というのが周囲の評価でした。戦下手で、天下分け目の関ヶ原の戦いへの遅参や大坂冬の陣の失態で家康の激怒を買っています。この秀忠が才を発揮し始めるのは、豊臣家が滅亡し乱世が終わってから。合議制の年寄衆(老中)制度の創設、武家諸法度、禁中並公家諸法度の制定、有力外様大名の改易、御三家・親藩の配置、鎖国政策の先鞭となる外国船の入港制限などで、徳川幕府体制の基盤固めに成功しました。

 リーダーは、成功者であるほど自分と似たタイプの後継者を選びがちです。自分のやり方にこだわり、自分の路線の継続を求めるからです。これに反してカエサルと家康は、あえて違うタイプの人物を選択しました。

今の自分を否定するような人物が次の時代の組織・体制を発展させることを見抜いた慧眼こそ、偉大なリーダーたちの本領といえます。 

Maho Shibui
1971年生まれ。作家
(株)家計の総合相談センター顧問
94年立教大学経済学部経済学科卒業。
大手銀行、証券会社等を経て2000年に独立。
人材育成コンサルタントとして活躍。
12年、処女小説『ザ・ロスチャイルド』で、
第4回城山三郎経済小説大賞を受賞。 

 

 

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