提案会の始まり
評論家から解決者へ

 このような発表会形式を用いるようになった経緯について、津谷会長は次のように説明する。

 「社員が20~30人の頃は、社長も社員もなく、みんなが1つの会議室で改善アイデアを出し合っていました。みな熱心でしたが、そのうち困った状態になりました。若い社員たちは、『ココがうまくできていない』『リソースが不足だ』という指摘はたくさん出るのですが、『では、どうすればよい?』という解が出てこなくなったのです」

  本来ならば、若手が自ら問題の根本原因を突き詰め、実現可能な解決策をしてほしいのだが、実際には若手社員が問題提起し、その解決策を津谷会長が頑張って出すという本末転倒の状態に陥った。

 小さな会社では、本来あるべきものが揃っていないことも多く、「その条件下で成果を出す」ことが必要なのだ。お金が無い中で業績を上げなければならない。リソースは稼げるようになれば整えられるが、それまでは鶏と卵なので言っても仕方がない。

●迷走1
[評論家]不備を指摘。自分は解決できないのに、上から目線。
[解決者]少しでも成果を上げるにはどうしたらよいか?
     (指摘は、誰にでもできるかんたんなこと)

●迷走2
[評論家]リソース不足を指摘。解決できないのをリソース不足のせいに。
[解決者]少ないリソースをやり繰りして、どう成果を出すか?

 このままでは、本人も会社も成長しない。若手をトレーニングし、課題解決を徹底的に訓練することにした。それが「提案会」である。

 そして、津谷会長がこの取り組みに本気だったのは、ただ社員にやらせるだけではなく、自身もこの提案会のための準備を行い、各種フォーマット整備し、会の運営も工夫を重ねていった点からも明らかである。