オースチン リードの本店に向かうトレンザのスタッフに道を尋ねた紳士が、別れ際に『Nice suits』と言ったという。トレンザの、日本でのスーツ作りが認められたのだ。
この秋、日本製の「オースチン リード」が逆輸入という形で本国の旗艦店に並ぶ。日本のスーツづくりが世界に認められた快挙。その秘密を探った。
1900年にロンドンで創業した、彼の地では最も知られたテーラー「オースチン リード」。ここ日本で71年よりライセンス展開するのがトレンザだ。
結論から言ってしまえば、オートメーションで生まれた余力を手間暇かけることに振り向けたたまものである。例えば、早くからCAD/CAMを導入しつつ、一着裁断と一方方向裁断を行っているのが好例だろう。服地となるウールは自然のものであり、どんなに気を使っても反物の端と端では色がばらつく。トレンザでは濃淡が出ないよう、一着のパーツをひとまとめにするのみならず玉縁に至るまで向きをそろえて裁断する。仕立て上がりのスーツでは分からないこだわりを、工場長の吉田正仁氏は「作り手の自己満足みたいなもんですわ」と笑う。
注目すべきは、本文で解説した一着裁断(左から2番目写真)と、日本人特有の前肩体形に合った立体的なシルエットを生むタッキングと呼ぶミシン工程(左写真)。アイロンワークなどの職人技が惜しみなく投入される「オースチン リード」は、上着だけで330もの工程を経る
一方で、イセ込みなど熟練の経験と勘が求められる工程は昔と変わらず手仕事に頼っている。若手層が厚いファクトリーにもかかわらず、70代を筆頭に60代の2人がこなす陣容。トレンザには促成栽培の発想がみじんもない。習熟度訓練という独自につくり上げたトレーニング制度は、単能工ではなく多能工の育成を目的としている。
愚直さがもたらした
垂ぜんの葛利毛織の服地
このファクトリーについて語るとき、「愚直」は大切なキーワードになる。半世紀近く、一つのブランドを作り続けてきたのもそうだが、それは尾州の葛利毛織との取り組みにも当てはまる。郷愁に駆られるションヘル織機が稼動する、昭和で時が止まってしまったような機屋に世界中のブランドが注文のための長い列を作る。その中で、トレンザは安定供給される数少ない一社だ。良いものは良いという信念で、25年にわたって取引を継続してきた成果といえる。
トレンザが本社を置く大阪の枚方はかつて紳士服の産地としてにぎわったが、その中核を担った大阪紳士服団地は現在トレンザを含め、数社を残すのみとなった。
そこで愚直にスーツを作り続けるトレンザは丹精込めた職人の仕事と高度なオートメーションを見事に融合させた。その完成度はスーツの聖地にあっても看過できるクオリティーではなかったのだ。