振り返れば、つい9ヵ月前に選挙があったばかりである。「憲法を守れ」と叫んでいるが、それ自体、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」する、と書かれている日本国憲法前文を無視した行為に見える。

 どうせデモをやるなら、平安特の議論をしっかり傍聴した上で、落選させたい政治家の地元でやるか、「下関市(安倍総理の地元)に移住しよう」と仲間を募るか、せめて「支持していたけどもう支持しない」と支持の変遷を主張していたならば、政治家にとって脅威になろう。極論ではあるが、10万人が永田町でデモをやっても安倍総理は辞めないが、10万人が下関市に移住し対抗馬に投票すれば、安倍総理でさえ落選させることができるだろう。さらに言えば、極端な彼らの1票が「極端な主張をする少数政党」に流れると、逆にそれが野党票を分裂させ、間接的に与党を利する現実を知った上で、投票を行うべきである。

 来年夏に行われる参議院議員選挙で候補者を立て、応援し、1人でも多くの反対派の候補者を議会へ送る。これが唯一にして最大の抵抗ではないか。有権者は代議制民主主義の仕組みをもっと学んで、そのエネルギーの使い道・戦う術を考えるべきだと思う。

安保法制「最大のリスク」とは?
今こそ問われる有権者の真価

 一方で、賛成派の人々にも言っておきたいのは、今回の安保法制ができたからと言って「これで安心だ」ではない、ということだ。

 賛成派の中には、中国の軍拡の実態などをことさらに取り上げて、脅迫じみた論説を展開する人が多い。これでは、泥棒や強盗の映像を見せてことさらに不安を煽り、高いセキュリティグッズを売りつける「押し売り」のようである。安保法制の議論は、起き得るリスクの可能性と費用対効果を天秤にかけて、冷静に議論されるべきだ。

 今回の安保法制の抱える最大のリスクは、政府の唱える「存立危機」や「明白な危険」が不明確なところにある。大野元裕議員が指摘したように、「存立危機」は極めて曖昧で、時の内閣がいかようにも判断できる余地を残した。したがって、想定し得る通常の運用がなされていれば特に問題は生じないのだが、判断を間違えば、関係のない戦争に首を突っ込んで不要な恨みを買ってしまったり、アメリカの軍事行動を補完する役割として自衛隊が出動させられたりするリスクも高まる。さすがにこれまで違憲判断を避けていた裁判所も、事態を見過ごせなくなる可能性は高まるだろう。これが、安保法制の抱える最大のデメリットである。

 また今回、地域的制限が撤廃されたため、遠く離れた戦争に参加することもできるようになった。政府は日本から遠く離れた中東のホルムズ海峡が封鎖されたときの事例を挙げ、「エネルギー、石油の供給が滞り、単なる経済的影響にとどまらず国民の生死にかかわる重大、深刻な事態が生じ得る」(中谷防衛相)、「救急車のガソリンがどうなるか。電力供給も失われ、高齢者や病人の命にもかかわる」(安倍総理)と説明していた。しかし、無所属クラブの中西健治議員が「昨年度の発電実績によると(ホルムズ海峡が封鎖されても)7.6%の電力供給が滞るだけ」と、元JPモルガン証券の役員らしく数字を使って追及している。すなわち、この点も極めて曖昧な法律なのだ。