もちろん、現行憲法の改正規定が「改正させない」ことを意図した厳しすぎる要件になっている点は、おかしいと認めざるを得ない。それなら、改正規定からまず変えるべきだと思う。その上で、「環境権の追加」「読みやすい日本語への改定」など、統一見解を得やすいものからまず変えてみたらいいではないか。

 そもそも日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正規定に基づいて成立した。それは、衆議院、参議院それぞれの「出席議員」の3分の2の賛成によるものに過ぎなかった。国民投票だってやっていない。成立したときの要件よりはるかに厳しい改正要件を求めるのは、フェアではない。終戦直後の国会議員はそんなに偉かったのだろうか。

 民主主義・議会政治の発祥の地であるフランスだって、憲法を時代に応じて変え、一院制と二院制を交互に採用したりしている。イギリスに至っては、明文化された憲法がない。アメリカでも奴隷解放をめぐってリンカーン元大統領が憲法改正を実現したストーリーは、2012年、スティーブン・スピルバーグ監督によって映画化されている。為政者が憲法を勝手に解釈で変更するのではなく、国民に問うべきだ。その範囲で解決策を探るのが政治家の責務である。

今すぐ変化が生じるわけではない
議論にエネルギーを使うなら冷静に

 話を安保法制に戻せば、今回の安保法制の中身自体については、実は今すぐ何か大きな変化が生じるものではないと、筆者は考えている。

 国会の中の議論も無意味だったが、外ではもっと本質からかけ離れた議論が行われていた。国会前には数万人とも言われる人々が集まり、「アベやめろ」のプラカードを掲げて叫びまくる。主張も「徴兵制」やら「戦争に行く」など、デマに近い極論ばかりで、議論にならない。

 たとえば、徴兵制と今回の安保法制は何の関係もない。世界の潮流は「志願制」である。かつ、自衛隊や防衛大学校・防衛医科大学校の倍率は極めて高い。ちなみに、筆者は大学受験のときに防衛医科大学校を受験し一次試験に合格したが、自衛隊に入ることに迷いを感じ、面接試験に行かなかった苦い経験がある。もちろん、同校は今回の法改正によって人気が下がる可能性はあるものの、それでもなお高い倍率を維持するだろうと思う。

 同じ「反対」意見だからこそ言わせてもらえば、筆者は毎日国会前のデモの中を通っていたが、仮にも民主的な選挙によって選ばれた総理大臣に対して「アベやめろ」と叫びまくる姿は、とても平和を希求している姿のようには見えなかった。まして「人殺し」や「逮捕する」などと叫ぶのは、何の民主的根拠もない。きちんと冷静な議論を通じて選挙を通じて戦うのが、民主的な姿ではないか。なぜ、その活動を選挙の前にやらなかったのだろう。