渋谷の暴動もまったく同じ構造で、近年、ハロウィンの季節になると、各局のテレビマンたちは、「阪神優勝で道頓堀へダイブするファン」や「サッカーW杯で渋谷スクランブル交差点が大騒ぎ」といったニュースと同じように数字の取れるコンテンツとして、「ハロウィンでハメを外す渋谷の若者」を取り上げてきた。

 それを目にした若者たちが、「あれくらい無茶苦茶やってんなら、これくらいのことをしても平気だろ」と、さらにエスカレートした行動に走っているのだ。

 この悪循環を断ち切るには、テレビが自粛をするしかない。

「それでは報道の自由が」と、まるでこの世の終わりのように大騒ぎをするテレビマンがいるが、実際に過去、あまりにテレビの「報道被害」によって若者の自殺者が増えたことから、現在では多くのテレビ局で、自殺をセンセーショナルには扱わないようにガイドラインができている。ハロウィン暴動も同じ構造であるのは明白なのだから、同じようなガイドラインをつくったところでなんの問題もないのだ。

一般参加イベントの整備が
若者の暴徒化を防ぐ理由

 (2)の「仮装パレードなど一般参加イベントの開催」というのは、既に多くの人から意見も出ているので、納得される方も多いのではないか。

 1997年からスタートし、毎年12万人もの人出がある国内最大級のハロウィンイベント「カワサキハロウィン」では、仮装した若者たちが暴徒化したり、痴漢に走ったりということはない。

 少年の凶悪事件が多発したことで「川崎国」なんて揶揄され、どちらかといえばバイオレンスなイメージのある土地柄だが、家族連れなども安心して見物できる“平和なお祭り”が長く続けられているのは、仮装パレードやコンテストという一般参加イベントがしっかりと整備されているからではないか、という指摘がある。要は、ある程度のルールでもとでのお祭り騒ぎじゃないと、若者は暴徒化するというのだ。

 これはその通りで、若者に限らず、日本人は幼い頃から「長縄跳び競争」のように、団体行動と連帯責任をしつけられるので、いきなり「自由」を与えられても、何をどうしていいかわからない。

 そのため、「暴力衝動を解き放つこと=自由」だと錯覚する若者がチョロチョロ出てくる。「自由って何だろう」と思い悩むガラスの十代が、盗んだバイクで走り回ったり、夜の学校に忍び込んで校舎の窓ガラスを割るのは、この勘違いが大きい。