ニュースな本イラストはイメージです Illustration:PIXTA

コメを筆頭に、さまざまな食品の価格が高騰している昨今だが、終戦直後は今よりもさらに過酷な状況だった。そんな中、野菜の適正価格での取引を目指して立ち上がった男がいた。彼の名は、尾津喜之助。焼け野原から新宿闇市をつくり挙げた尾津は、八百屋のボスに真正面から交渉に挑んだ。※本稿は、フリート横田『新宿をつくった男 戦後闇市の王・尾津喜之助と昭和裏面史』の一部を抜粋・編集したものです。

テキヤのトップに君臨した
闇市のドン・尾津喜之助

 ここから(編集部注/昭和20年)翌年にかけてが、尾津(編集部注/尾津喜之助のこと。新宿を作った男と言われる昭和期の露天商、関東尾津組組長)の生涯でもっとも忙しく、世に爪痕を残す時代へと入っていく。人からさまざまな頼まれごとを持ち込まれ、また自身でも問題にぶちあたっては突破していく時期だった。

 秋田犬・出羽猛虎号を連れ、羽二重の羽織に「関東尾津組」と入った印半纏を着てマーケットを見回る尾津。顔は酒と日差しに焼けて黒く、鋭い目を絶えず動かし、大きな口は一文字に閉じられている。

 骨格大柄ながら刑務所内で痩せたことでむしろ精悍さを増しつつも、「えもんかけ」と、若い不良たちからひそかに呼ばれるほど肩を張り、胸を反り上げて歩きまわる。

 だがもうこの鬼気迫る姿を闇市内にさらしてばかりはいられなかった。あちこちへと飛び回り、目まぐるしい日々を過ごすようになっていく。

 昭和20年10月16日、尾津喜之助は、東京露店商同業組合理事長に選出された。