同調圧力に弱い日本人は
集団で暴徒化しやすい

 さらに、この暴力衝動に輪をかけているのが、「同調圧力」だ。

 筆者は20代の頃、事件記者だった関係で、暴力的な若者とよく会った。カップルに因縁をつけて集団リンチをした挙げ句に殺した少年たちや、集団強姦をした早稲田のサークル「スーパーフリー」のメンバーなど、いろいろな“荒ぶる若者”から話を聞いたが、そこで共通していたというか、よく耳にしたのが「みんながやっていた」という言い訳だ。

 誰かがはじめに殴った。それに触発されて、まわりで見ていた者も手をあげた。手を出さないでいる者がいれば、殴った者たちが「お前、やらないのかよ」と文句を言う。そこで、「なめられたくない」「裏切り者になりたくない」という思いがこみあげ、続々と「共犯者」になっていく――。

 集団リンチ、集団強姦などの加害者に話を聞くと驚くほどこのようなパターンが多い。要は、自分としてはそんなに気は進まなかったが、「みんな」のムードに合わせているうちに、まるで競い合うように暴力がヒートアップしていったというのだ。

 今回の「渋谷暴動」も、そのような若者が暴徒化する定番パターンにまんまとハマってしまったように思う。

 最初は楽しく「みんな」でハロウィンを楽しんでいたが、そのうち誰かが裸になって看板によじ登ったり、自販機を壊したりしたことで、それに触発をされた人たちが続々と似たような暴力行為に走った。つまり、「みんな」の空気にあまりにも流されやすいため、「みんな」の中に暴力的なムードが高まると、オセロゲームのようにパタパタと「暴徒」に変わってしまうのだ。

 そんなバカなと思うかもしれないが、同調圧力に弱い日本人はこれまでも、こういうパターンで「普通の人」が「暴徒」へ豹変したという過去がいくつもある。

 例えば、満州事変が起きた1931年、東京・麻布で「もし戦時招集があっても応じるな」という反戦ビラを街頭に撒いた人たちを殺そうと、善良な一般市民が「暴徒」となった。

「付近の住民は時節柄とて憤慨し二、三十名が棍棒や薪を持つて『非国民を殴り殺せ』と追跡した」(読売新聞 1931年9月21日)

 戦時中は「非国民を殺せ」というムードが、「みんな」の中に伝染病のように広まっていた。これは現在のネットリンチにも通じる現状だが、「みんな=正義」という思い込みが強いゆえ、「みんな」のムードに流されてしまうと、個々のモラルや善悪が頭からスコーンと抜けて、なんのためらいもなく、非人道的な暴力を振るうことができてしまう。これがいわゆる「群集心理」だ。

 こういう過去の悲劇を踏まえると、「カワサキハロウィン」のように、しっかりとしたルール、しっかりとした管理の下で、制限付きの「自由」を楽しんでいただくというのが一番安全であることは明白だ。