高度経済成長からバブル経済へ――。1970年代、日本車は高品質で安価と評価されており、海外輸出で急成長を遂げました。その成長を支えたのが、自動車メーカーを頂点とする「ケイレツ(系列)」と呼ばれるピラミッド型の企業間関係で、その構造が地域社会に浸透するほどの黄金期を迎えていました。しかし、その強固なシステムと成功体験こそが、のちに大きな足かせとなっていきます。1980年代に入ると、貿易摩擦や円高を背景に、自動車業界は「国内生産・輸出」から「海外現地生産・販売」へと大きな転換を迫られます。これを受け、日産は他社に先駆けて、海外現地生産へシフトしながらも、それを支える運営の仕組みや経験のアップデートはなされていませんでした。その結果、事業運営のミスマッチから深刻な収益悪化を招き、トヨタの後塵を拝することになってしまいました。本稿では、日産の元社長・西川廣人氏が、日本型製造業の成長モデルが抱える構造的な限界、現場体験とケイレツのリアルを振り返ります。
続きを読むなぜ“技術の日産”はトヨタに差をつけられたのか?西川元社長が明かす「ケイレツのリアル」と「海外シフト失敗」の真相
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