佐藤喜代松商店は貴彦氏の曽祖父、喜代松氏が丁稚(でっち)奉公した漆製造工房に跡取りがなく、後に引き継いだのが始まり。
しかし業界の反応は冷淡だった。取引先は一様に「何百年の信頼がある漆をつこうてるさかい、今さら変える必要はありまへん」とけんもほろろだったという。
4代目は、ならばと営業車をMR漆で真っ赤に染めた。京都市内を走るその姿はマスコミをにぎわし、アパレル業や建築業といった新規の客を助手席に乗せて帰った。
これまでに手掛けた物件は百花繚乱だ。京都市の総合庁舎やホテルのエレベーター扉などの建築資材、伊勢神宮の五色の据玉、さらにはコレクターをうならせたセーラー万年筆の蒔絵シリーズ……。
「今はさる迎賓館にしつらえるカウンターを頼まれています。700キロのケヤキだそうで、果たしてこの工房に入るんか(笑)」
がっぷり四つで
産地と取り組んできた
塗りの工程では地元の芸術家など約50人をアウトワーカーとして起用。多くは30代と若い。炭を使って研ぐ作業で、手掛けているのは蒔絵の職人歴13年のベテラン、鈴木里穂氏
まだ体の線が細く、スーツ姿が板についていない若者たちが興味深そうに工場を練り歩いている。20人はいるだろうか。世界の三大服地産地の一つ、尾州の夏の風物詩。工場の人間が引き連れているのは三越伊勢丹の新入社員だ。
職人の世界に光を当てる動きはちょっとしたブームだが、『セキトワ』をその他大勢とひとくくりにできないのは、それが積み重ねてきた歴史あってこそだからだ。尾州との取り組みが好例で、三越伊勢丹では数十年前から産地の奥深くにまで入り込み、職人と膝を突き合わせて商品開発を行ってきた。今ではさほど珍しくはないが、当時川上にまでさかのぼる小売業は皆無だったといっていい。有志から始まったという産地研修はそのような信頼関係から生まれた。
もう一つ付け加えるなら、三越伊勢丹はこのプロジェクトに名を連ねた職人には口座を開いている。言うまでもないが、百貨店が一職人と直接取引するのは実にまれだ。