福岡県北九州市は九州の最北端にある政令指定都市。市街地のにぎわいの一方で、海や山に囲まれた豊かな自然もある。最近は各種メディアや調査で「住みたいまち」の上位にランクイン。U・Iターン組を含め、首都圏からの移住者も増えている。実際に移住を決めた2人のビジネスパーソンを取材し、2回シリーズで北九州市がなぜ「住みたいまち」なのかを探ってみた。
ブラックハンド 代表取締役 児島 毅氏
2012年12月~移住。3人家族。建設業向けのパッケージソフトウエアの開発、販売会社を小倉北区で経営。赤星香一郎の名で作家活動(講談社メフィスト賞受賞)も行う。「仕事面においてはクラウド環境を活用し、顧客とはSkypeでやり取り。何の不便もない。ぜひ移住も視野に入れて、ご自分の人生設計を考えた方がいいと思います」
まず1人目、児島毅氏が北九州市へUターンしたのは2012年の暮れ。きっかけは前年の東日本大震災だった。東京・文京区に妻子と住んでいたが、災害リスクが少ない地方への移住を考え始めた。新宿のIT系企業に勤務していたが、当時46歳、起業したいタイミングでもあった。
多様性があるという意味で
東京と似ている
「高校まで過ごした土地だったのですが、長男であり、親の近くに住みたいという思いがありました。移住してからは百八十度市への見方が変わりました。いい意味で適度に都会で適度に田舎、政令指定都市なのにコンパクト。昔と違って治安もよく、風光明媚で新幹線や空港など東京へのアクセスも良い。移住して分かったのですが病院も豊富ですし、子育て環境も、東京とは比べ物にならないほど充実していました」
教育レベルは遜色なく、街から一歩外に出ると、海や山の自然が近くにある。お気に入りは、西日本最大級の自然史・歴史博物館である「いのちのたび博物館」だ。「この博物館は国立博物館並みに見どころ満載です。その他にも美術館、科学館など文化、教育の面でも東京とさほど変わらないと思います」。
市の援助を受けて小倉駅近くのビルにオフィスを借りて起業した。「北九州市は物価が安く、食費は東京に比べて7〜8割、家賃に関しては約6割のイメージで、年収800万円の人は600万円で同等以上の生活の質を保てる」という。
「ビジネス上で土地柄独特の影響を感じたことはありません。市自体が、門司小倉の小笠原藩と八幡若松の黒田藩という別の文化を持った土地が合併してできた歴史を持つため、”よそ者”をフラットに受け入れる土壌がある。言葉やイントネーションも標準語に近く、多様性という意味で東京と似ているので、違和感がないのです」(児島氏)
東京在住時は、満員の通勤電車が苦手だったと言う児島氏。平均通勤時間が24.4 分*と短い北九州市のストレスフリーな暮らしは快適で、仕事を含め「東京にいなければできない」ものは限りなく少なく、正直言って不便に感じることは「何もない」という。「年収や都市の利便性など“目に見える”ものではなく、生活の質やストレスなど“目に見えない”ものを要素に入れて移住を考えれば、北九州市への住み替えは成功でした」