米倉氏のスピーチの後に登壇したのは、共に業界に新風を吹き込んだ二人。「獺祭(だっさい)」で知られる旭酒造会長の桜井博志氏と建築家の隈研吾氏である。

しがらみからの解放が
獺祭をつくった

 桜井氏がまず紹介したのはニューヨークで開かれた獺祭のイベントである。参加者の6割は米国などの外国人。若者や女性の姿も多かったという。

桜井博志
旭酒造 会長

「これまで日本酒を支えていたのは、日本人のおじさん。獺祭は違います。若者や女性、外国人が大きな割合を占めています。その共通点は日本酒になじみがなかったことです。こうした人たちを引き付けるものは、実質的な価値だけ。つまり、おいしさです。他の酒蔵がおいしさを追求していないわけではありませんが、他の方向に目を向けすぎているのではないでしょうか。その一つが『伝統』です」

 伝統を守るという美名の下で、長年の慣習を守っているだけではないか。桜井氏はそう感じることがあるという。伝統や業界のしがらみといったものからの解放が、今日の獺祭をつくった。30年余りの間に、同社の売上高は110倍に成長した。なぜ、しがらみを振り切ることができたのか。桜井氏の答えはシンプルだ。「負け組だったから」である。

 古い産業だけに、しがらみは幾重にも折り重なっている。例えば、原料米の山田錦の調達では、地元や各地の農協組織との確執があったという。

「地元である山口県の農協との関係が悪化して、他県ルートを開拓しました。しかし、各地の農協関係者などに接触すると、その日の夜に農業関係の偉い人からクレームの電話が入ることも。おそらく、既存の秩序が乱されると思ったのでしょう」

 桜井氏は既存の流通チャンネルを活用せず、独自ルートでの販売にこだわってもいる。その理由は「既存の流通業者に相手にされなかったから」とのこと。「もし相手にされていたら、業界全体が右肩下がりを続ける中で一緒に体力を消耗していたでしょう」と桜井氏は言う。

 また、一般には酒造りの主役とされる杜氏に見放されたことも、イノベーションの誘因となった。