バレットジャーナルは第3のスクリーンである

 3つめは、これも『手帳と日本人』に書いたことだが、現代に於ける手帳・ノートは、スマートフォン・パソコンに続く「第3のスクリーン」ではないかと思う。

 この第3のスクリーンとは、スマートフォンやパソコンよりも扱いが手軽で、すぐに開いて、文字だろうが図だろうが、簡単にリッチな表現ができる、主に冊子状のアナログなツールというほどの意味だ。

 ノートや手帳を使っているユーザーの実態は、スターバックスなどのカフェで観察することができる。彼らはスマートフォンやパソコンも使いながら、ノートや手帳を頻繁に参照し、また記入している。

 つまり情報ツールとしては、紙の記録媒体は、デジタルツールと同列、場合によってはそれ以上の位置づけとなっていることがわかる。カフェにいる彼らの振る舞いからは、この第3のスクリーンは、スマートフォンやパソコンよりもより愛着を持って自覚的に選択されていることがうかがわれる。

 またそこには好きな筆記具を組み合わせて利用し、スタンプやシールなどで視認性を高めたり情報を整理したり、そこにふせんを使ったり、写真を貼り込んだりもできる。

 何よりも重要なのは、『バレットジャーナル 人生を変えるノート術』でも言及されているとおり、これらの紙の記録媒体が「ネットワークに接続されていない」点だろう。

 手帳やノートに向かっている限りは、メールやメッセンジャーの時間を問わない通知のポップアップなどに気を散らされることはない。バレットジャーナルは、この第3のスクリーンの一形態だ。

 ノートの見開きの記入面を自由に定義し、役割を与え、記入のルールを定義してそれに沿って記録し、あるいはそれ以外のことを定義外のものとして自由に書いていく。こういう自在な使い方ができることこそが、第3のスクリーンの本質であり可能性だと言える。

 バレットジャーナルは紙の記録媒体として冊子状になっており、基本的なルールを持ちながらも、記入には自由度があるツールであることの典型的な例になっている。

 そして、今まで日本の内外で発案され伝えられてきた各種のノート術や情報整理術は、『知的生産の技術』(梅棹忠夫・著)から『メモの魔力』(前田裕二・著)に至るまで、この第3のスクリーンという観点から総括可能だ。これはいずれ機会があればまとめたい。