技術導入を自主規制する日本は
革新の舞台としては描けない
――近年はAIなどの技術の発展とその社会実装が急速に進んでいます。そういう現実の変化がSF作家としての構想力を上回ってしまうなんてことはありませんか。
日本では技術よりも社会や動態の変化が、私の構想を上回るスピードで進んでいます。例えば外国人労働者に対する規制緩和。『東京の子』(19年刊)は23年の東京を舞台に、移民解禁後の社会を描いています。ところが現実には、この4月に入管難民法の改正が行われた。外国人に対して門戸が開かれるタイミングは、私の予想より早くなっています。こういう変化には驚いています。
一方で技術の社会実装については、日本はあまり進歩がありません。それは技術力の問題ではなく、自主規制する人がたくさんいるせいです。
例えば自動運転をどう導入するかを議論すると、条件反射のようにトロッコ問題(暴走するトロッコを放置すると5人がひかれるが、それを回避しても1人がひかれるという架空の倫理問答)を持ち出す人がいる。そして「やっぱり危ないから、できる限り慎重に導入しよう」となる。これでは仮に日本に高い研究力があっても、その成果は社会になかなか生かされない。こんな状況では、SFの舞台としても日本をイノベーションの場として描くことは難しいかもしれません。
―― 一方で中国では、新しい技術の活用に積極的です。その中国のSFが盛り上がっているのは、現実の技術や産業力と関連があるのでしょうか。
間違いなくあります。SFは、「社会はこれからどう変わるのか、未来はどうなるのか」を知りたい人に、直接的なイメージを与える文学です。未来を知りたいと渇望する人がその社会にどれだけいるかが、SFの盛り上がりにおいて重要なのです。SFは戦前に英国やフランスで勃興し、戦後になって米国が中心地となりました。これらの国に当時、未来を知りたいと強く願う人がたくさんいたということです。
中国のSFイベントに登壇した藤井氏あるとき、中国で開かれたSF関連のイベントに登壇したのですが、そこで子供にすごく面白い質問をされました。「宇宙ステーションでは猫が飼えますか」って言うんです。中国の若者にとって宇宙は、非現実的な冒険空間ではなく、自分が働き生活することを夢想できる現実的な空間なのでしょう。
この背景には、中国が米国と同じようにビッグサイエンスに挑戦していることがあると思います。米国はマンハッタン計画(1940年代初頭の原爆開発計画)のような巨大科学プロジェクトを実施し、科学技術と産業を発展させてきました。この手法を中国は明らかに学んでいます。中国はこれから科学技術の世界において、50年代の米国のような高まりを迎えるのではないでしょうか。それが『三体』を含む中国のSF熱にもつながっています。
今の日本では宇宙はもとより、未来を夢想することすら難しいかもしれません。この国について衰退しかイメージできないという人もいるでしょう。でも、いやだからこそ、衰退以外のこの国の姿をSF作家として描きたい。
例えば、同性婚でも子が持てる国という未来です。同性婚や同性愛は、生物学的に子孫を残せないという理由から強い拒否感を持つ人がいます。これが生物化学の発展によって、同性でも子をなせるようになったら、社会はどうなるのか? こういった未来をつぶさに描写することで、現実の材料だけでは思考停止してしまう未来を考えてもらいたいのです。
米国ではフィクションが
科学技術の舞台で着目されている
――日本の現実社会でSFに対する関心を感じることはありますか。
比較的最近のことですが、国内のある自動車メーカーに呼ばれ、経営幹部に近いレベルの人と意見交換をしたことがあります。自動運転を含む未来のモビリティがテーマで、「自動運転車のユーザーインターフェースはどんなふうか」「ドローンは移動手段としてどう使われるか」といったことを議論しました。
実は米国では、グーグルのようなITガリバーの経営幹部とSF作家が意見交換することは少なくありません。何しろ、IEEE(米電子電気学会)のような団体が、学会の記念品としてSF短編集を配る国です。米国ではフィクションが科学技術のメジャーな舞台で光を当てられています。こういう動きが日本にも広がれば、今の閉塞感も変わってくるかもしれませんね。
(一部敬称略)
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