『サピエンス全史』の著者が「21世紀はSFが最重要」と言う理由

ビジネスパーソンにとって、「SFを愛読している」と言うのはためらいがあるかもしれない。現代社会に生きる上で重要なのは、金融や会計のような専門知識、英語のような実用スキル、過去に実際に起こった歴史など。これらに比べてSFが語る虚構の世界は、大の大人が時間を費やすにはふさわしくない、そう考えている人は少なくない。ところが世界の知の巨人はむしろ、SFを読むことを推奨している。(ダイヤモンド編集部副編集長 杉本りうこ)

70年前のSF小説が
中国で禁書になる?

 「あの小説がついに禁書になったらしい」「まだ大丈夫、通販サイトで販売中だ」――。こんなやりとりがこのところ、中国の会員制交流サイト(SNS)でしばしば繰り広げられている。あの小説とは、英国のSF作家ジョージ・オーウェルの『1984年』だ。

 この作品は、大国が統治する近未来社会が舞台。市民生活はテレスクリーンと呼ばれる画面とマイクによって四六時中監視され、指導者「ビッグブラザー」によって行動と思想が厳格に統制されている。科学技術が発達した未来の負の側面を描く、「ディストピア」と呼ばれるジャンルの名作だ。

 この作品が発表されたのは1949年。インターネットの発達や、現代中国の政治体制を踏まえたわけではもちろんない。そんな70年前のSFに、今になって禁書の可能性がささやかれるのは、今の中国人が潜在的に感じている不安を絶妙に言い当てているからだ。

 SFは言うまでもなく架空の物語である。しかも荒唐無稽さという点では、ミステリーなどを大きく上回る。このSFこそが21世紀において「最も重要な芸術分野の一つになる」と指摘するのは、イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏である。最新の著作『21 Lessons for the 21st Century』(21世紀のための21講座、未邦訳。河出書房新社から11月、邦訳刊行予定)の中で、現代を生き抜く重要な視点の一つとして述べている。

 これまで『サピエンス全史』『ホモ・デウス』という二つの大著で人類と技術の歴史を喝破してきたハラリ氏。過去2作に連なる最新作で、知の巨人はなぜSFに光を当てたのか。3作の重要な指摘をコンパクトに紹介する「超ダイジェスト」で、ハラリ氏の壮大な思索をたどっていこう。

虚構を読み、自らを深く考える
21世紀に重要なスキル

SFの名著が描くディストピアは回避できるのか?

■超ダイジェスト(1)『21 Lessons for the 21st Century』

 〈人類が世界を支配できている理由は、他の動物よりも「協力し合う」ことに長けているからだ。そして人類は、共通の「虚構(フィクション)」を信じることで、互いに協力できるようになった。これまでの歴史で最も人類の思考や行動に影響を与えた虚構といえば、「神」に他ならない。近代以降は「資本主義」という虚構が優勢だ。

 21世紀初頭の現代、芸術的創作物の中で最重要の「虚構」は、おそらくSFだろう。人工知能(AI)や遺伝子工学といった先端的な科学の成果やその社会への影響を、一般の人たちはSFを通して知ることが多い。だからこそSFは、人々をミスリードするような描写やストーリー展開を避けなければならない。SFには、多くの人の思考や行動に影響する虚構としての責任がある。

 実際にはその責任に無自覚であり、科学的な正しさから懸け離れているSFも少なくない。例えば2015年の映画「エクス・マキナ」は女性型AIロボットと恋に落ちる研究者の物語だが、AIに性別を付与する意味など、どこにもない。

 多くのSFが探求してきたテーマの一つに「テクノロジーが人間を支配し、コントロールする脅威」がある。代表的な作品は「マトリックス」「トゥルーマン・ショー」『すばらしい新世界』『1984年』といったところだ。これらの優れたSFは、人間の自己について考えるヒントを与えてくれる。

 しかしながら「マトリックス」や「トゥルーマン・ショー」には、正しくない結末が用意されている。いずれの主人公も、テクノロジーの支配から逃れ「本来の自分」を取り戻せる約束の地にたどり着く。実際には「支配されない本来の自分」なるものは幻想であり、存在し得ないものなのだ。

 なぜなら私たちの思考や価値観は、宗教や教育、映画・小説・詩といった創作物(いずれも虚構である)などによって形成されてきたからだ。それらに支配されたり、影響を受けたりする以前に存在する本来の自分などない。

 その点でオルダス・ハクスリーの小説『すばらしい新世界』は、より真実に迫っている。テクノロジーに支配されることで誰もが幸福に暮らす近未来社会を描いたこの作品では、本来の「人間の尊厳」を求める逸脱者が民衆によって自殺に追い込まれる。『すばらしい新世界』で描かれた一見ユートピアに思えるディストピアでは、「マトリックス」の主人公のように「本来の自分」に逃げ込むことはできない。驚くべきは1932年に発表されたこの小説が、21世紀の現代の見事な風刺になっていることだ。

 SFを読むことで私たちは自己について深く考え、「本来の自分」などという狭い考えを脱することができるのではないか。そしてそうした思考力こそが、21世紀を生き抜くのに欠かせないスキルである。〉