シナジーを発揮する7つの事業領域

 振り返れば、イトーヨーカ堂の東証上場が1972年。翌年、セブン-イレブンのライセンス契約を受け、74年5月、豊洲に1号店を出店した。それから40年――。

「この間、われわれを支え続けてきたのは、お客さま、地域社会、取引先、さらにはパートナーの従業員に対し、誠実で信頼される企業でありたいという企業理念にほかなりません。そして、われわれが今何をすべきかを考え続ける原動力となっているのが、1982年1月からスタートした『業革』です」(村田社長)

 73年2月期のイトーヨーカ堂単体売上高は825億円だったが、2014年2月期にはセブン&アイグループ全体の売上高は9兆5978億円と116.3倍にも伸びた。同様に営業利益は84.9倍である。この間、例えばセブン-イレブンでは共同配送システムを導入し、1店舗当たりの運搬トラックを1日70台から9台にまで減らした。1982年にはPOSを導入し発注精度を向上するほか、新鮮でおいしいお弁当やおにぎりを提供するために米飯2便制を経て朝・昼・夜の3便制を実現した。

 金融サービスの革新も目覚ましく、料金収納代行サービスは扱い高が4兆381億円と売上高の3兆円を上回る。さらに、それらを合わせた7兆円の中から顧客はATMを通じてお金を引き出すことができるようになり、セブン銀行のATMサービス利用は年間7.35億件に上るという。

「変化への対応は、経営の質が問われます。高度成長の売り手市場から買い手市場に変遷して第2段階を迎えた現在、商品のライフサイクルを見ても、1年をかけて衰退するという悠長なものではなく、富士山型から茶筒型、ないしはペンシル型というように、発売してわずか数週間で商品が売れなくなるほど、マーケットの変化が速い。しかし、セブン-イレブンは日本のコンビニマーケットで4割のシェアを占めますが、10割ではありません。つまり、マーケットは新たに創造されているのです」

 こうしたチャレンジ精神が、同社の基礎体力を作り上げてきた。例えば、セブンプレミアムなどのPB商品を生む原動力となったチームMD(マーチャンダイジング)は、グループ企業内だけでなく、外部メーカーや取引先、物流企業などと情報やノウハウを共有して商品を開発する。その強みは、「仮説と検証」だ。POSデータなどを通して知ることのできる店頭情報や市場動向が、仮説立案に役立つ。そこから開発のアイデアが生まれ、また情報がフィードバックされて、〝改革〟につながるというわけだ。

「ゆるやかな系列化といえるでしょうか。『餅は餅屋』という考え方がありますが、まさに専門的な知識や技術をお持ちの方々に大いに参加していただいてチームを結成し、より魅力的な新商品を開発しているのです」(村田社長)

 そうした改革の体制を支えてきた1つに、OFC(オペレーション フィールド カウンセラー)と呼ばれる経営指導員の存在がある。そのノウハウをグループ全体で共有し、オーナーを指導教育するわけだ。

「単に『この商品が売れるよ』ということではなく、『この地域は今このように変化している。だからこういう品揃えはどうか』とアドバイスするのです。全国に約2000名のOFCがいて、かつては毎週東京に集まり鈴木敏文会長がダイレクトコミュニケーションを行っていました。今でも2週間に1回は東京へ集結します」

 2005年、持株会社セブン&アイ・ホールディングスを創設し、新たにグループ化したのも変化に対応するためだった。

「それまでは、われわれが持っているインフラをグループ全体で共有し、シナジーとして発揮することができませんでした。それでは変化のスピードに対応できない。セブン-イレブン、イトーヨーカ堂、デニーズなど上場していた企業も一本化し、企業価値を最大に発揮しようと考えたのです」(村田社長)

 ただこの時、「百貨店」「食品スーパー」「総合スーパー」「コンビニエンスストア」「フードサービス」「金融サービス」「ITサービス」という7つの事業領域を集約すべきかどうかが問題となった。米国の投資家からは「事業領域がバラバラにあると、それら個々を合わせた価値に比べ、株価が下落するのではないか。なぜ集約しないのか」との声も上がったという。

「そこでわれわれは、日本の社会のお客さまは、それぞれの事業や業態を横串に買い回るのだと主張しました。ディスカウントストアで買い物をするお客さまが、高級な百貨店に行っても買い物をするし、手短なコンビニでも買い物をする。だから7つの事業を持つことによって、将来、企業としての大きなシナジーを発揮するのだと。すぐには理解されませんでしたね。事実、株価も10%くらい下がり、責任問題として叱責されましたから」(村田社長)

 村田社長は、何度も何度も「質を重視した経営が重要」と繰り返した。その根底には、「競争社会の中では、差別化された存在価値を表現できなければ存続はできない」との強い思いがある。

「ドラッカーは、『変化をコントロールすることはできないが、その先頭に立つことはできる』という言葉を残しています。これを『変化をコントロールすることはできないが、それに挑戦することはできる』と読み替え、われわれは『業革』を継続していきます」(村田社長)