技術の進歩と強化された耐震基準によって、日本の超高層ビルの安全性は高いが、それだけではBCP対策は十分ではない。専門家にBCP対策の問題点を聞いた。

日本初の超高層ビル、霞が関ビルと、後方は建築中の世界貿易センタービル(1969年)写真:毎日新聞社

 地震国・日本では、1919(大正8)年に「市街地建築物法」が公布され、細則を定めた施行令に「建築物ノ髙ハ(中略)住居地域外ニ於テハ百尺ヲ超過スルコトヲ得ス」とある。「百尺規制」と呼ばれるもので、63年に撤廃されるまでの約40年間、日本においては100尺(31メートル)より高いビルを建てることが制限されていた。

 いや、そもそも大地震でも倒壊しない高層ビルを建てる技術が、確立されていなかった。

五重塔の柔構造を
超高層ビルに応用

 60年代の高度経済成長の時代に入ると、オフィスビル需要が飛躍的に増え、ビルの高さ制限撤廃を求める声が強くなったことで、63年に建築基準法が改正され、高さではなく容積制で規制されることになった。また技術面でも、建築構造の権威である武藤清・東京大学教授が、関東大震災に耐えた上野・寛永寺の五重塔の柔構造から着想した「柔構造理論」を打ち立てたことで、68年、高さ147メートル、地上36階という日本初の超高層ビル「霞が関ビル」が誕生した。

工学院大学 建築学部
まちづくり学科
宮村正光工学博士

 しかし、太い鉄骨の柱と梁だけでビルを支える柔構造には、課題があった。強風で揺れて、オフィスで働く人々が船酔い状態になるのではないかという不安である。制震・免震装置のない当時、「武藤教授は、剛と柔をコントロールするスリット壁と呼ばれる鉄筋コンクリート製の耐震壁を考案したのです」と宮村正光・工学院大学建築学部教授は解説する。「小規模な地震や強風では、壁がビルの変形を抑え、大規模地震ではスリットにひびが入って柔らかくなり、鉄骨と共に揺れるので、柔構造を損なわないのです」。

 宮村教授によると、阪神・淡路大震災以前は、国内の地震計の設置数が少なく、精度も低かったため、高層ビルの設計には、米国カリフォルニア州のエル・セントロ(1940年のインペリアル・バレー地震)、タフト(1952年のカーン・カウンティ地震)、八戸(1968年の十勝沖地震)などの観測波記録を利用していたという。阪神・淡路大震災以後は、高精度の地震計が国内に数多く設置されるようになり、地震の揺れのデータも多く蓄積されるようになった。そうした中で注目されるようになったのが、ゆっくり長く揺れる「長周期地震動」である。東日本大震災では長周期地震動が原因となって、震源から遠く離れた東京や大阪などの超高層ビルの上部が大きく揺れた。今後は、この揺れへの対応が求められている。

 では、古い超高層ビルは、近い将来発生が予想されている巨大地震に耐えられるのだろうか。宮村教授は「十分な安全率が確保されている上に、定期的に改修が実施されているので、倒壊する可能性は低い」と考えている。しかし、国土交通省は、近いうちに長周期地震動に関連した新たな基準を設け、既存建物にも適用する見込みだ。そうなると「既存不適格(建築時には適法だったが新しい規定には適合しない)の超高層ビルが生じるかもしれません」。その場合は、耐震や制震改修、補強によって対応することになるだろう。