ケルン事件で世論が変化したドイツ
難民への反感が表面化し右派勢力も台頭
海路と陸路の両方から、多くの難民が大挙して西ヨーロッパを目指し移動を始め、昨年夏頃からは「欧州難民危機」として、難民の一挙一動が世界中で大々的に報じられるようになった。難民の受け入れに関しては、それぞれの国で賛否両論があり、また温度差も存在した。当初は各国がどれだけの難民を受け入れることが可能かというのが議論の中心だった。
しかし、昨年11月にフランスのパリで発生した連続テロ事件で、実行犯グループの一部がシリア難民としてギリシャに入国し、そこからフランスに移動していた事実が判明。加えて、昨年12月31日にはドイツのケルンで集団性的暴行事件が発生。大晦日の夜から1月1日の早朝にかけて、ケルン中央駅に集まった約1000人のアラブ系と北アフリカ系を中心とした若者らが、破壊行為や周辺にいたドイツ人らに対して暴行や略奪を開始。事態はエスカレートし、ドイツ人女性に対する性的暴行が堂々と行われる始末だった。最終的に数百件の被害届が地元警察に出されている。
地元警察は当初、12月31日の夜はいたって平穏だったと主張。しかし、騒乱の様子は現場近くの目撃者によって撮影され、SNSで拡散した。また、公共放送ZDFも1月4日まで、ニュース番組の中でケルン事件を全く報じなかったため、激しい批判を受けた。騒乱を起こした若者の大半がアラブ系や北アフリカ系で、その中には難民としてドイツに入国した者も含まれていたため、警察やメディアが発表を控えたのではという指摘も出たが、真相は定かではない。事件の詳細が明らかになるにつれて、難民の中に騒乱や性犯罪を起こす者が含まれているという認識がドイツ人の間で広まり、パリのテロ事件の衝撃も重なって、移民や難民に対する世論が大きく変わることになった。
ケルン在住のジャーナリストで、ドイツの公共放送でラジオニュースを担当するニコラス・フィッシャー氏は、パリのテロ事件でもあまり動じなかったドイツの国内世論が、ケルンの集団暴行事件が引き金となって様変わりしてしまったと語る。
「パリとケルンで発生した事件は全くの別物と認識すべきだ。11月にパリで発生したテロ事件は、ドイツ国内でテロリズムやイスラム国に対する強硬論が強まる要因にはなったが、難民受け入れに対する世論を大きく変えたとは思えない。
ケルンの事例は少々複雑だ。懸念されていた難民の増加に加えて、女性が性的暴行を受けたこともあり、何らかのアクションを起こすべきだという声も噴出している。しかし、私が話を聞いた市民の多くは、過剰に反応するよりも、違法行為をした人物は(ドイツ人でも外国人でも)ドイツの法律で裁けばいいといった冷静な見方をしている」
同じくケルン在住で、ケルン近郊の中学校で校長を務めるウーラ・サースさんは、これまでドイツ国内でタブー視されていた外国人に対する排斥的な言動が、ケルンの事件後に公共の場所で聞かれることが珍しくなくなったことに驚きを隠せない。



