“忍者の里”として知られる滋賀県甲賀市では、地方創生のため「忍者」をテーマに観光戦略に取り組んでいる。その特徴は、単なるエンターテインメントではなく、甲賀流忍者の面影や存在を“感じる”ことができる里づくり。そのユニークな試みを報告する。
中嶋武嗣市長
今年2月21日、滋賀県甲賀市で「甲賀流忍者復活祭」が開催された。会場では山伏の法螺貝(ほらがい)の音と和太鼓が響き渡り、市職員たちが忍者の装束で市民たちを出迎える。グルメマーケットでは“忍者ラーメン”や“忍者巻ずし”なども販売され、さながら縁日のよう。だがその復活祭の目玉は、調査によって発見された甲賀流忍者の末裔たちの発表だった。
「甲賀市は“忍者”という、世界的に有力なコンテンツを有しています。私たちは東京オリンピックの開催を見据え、日本を代表するクールコンテンツである“忍者”を地域振興の先導的な役割に据え、インバウンドを含めた観光戦略に取り組んでいます。ただし、単なるエンターテインメントでの観光客誘引ではなく、“本物感”のある忍者の里として、甲賀市でしか味わえない“観光体験”を創出していきたいと考えているのです」
そう語るのは、イベント当日、自らも忍者装束に身を固めた中嶋武嗣(たけし)市長である。
「忍者調査団」を結成し
忍者の末裔を発見
なぜ「復活祭」なのか?という疑問は、市長の言葉の中にある。かつて隆盛を誇った本物の忍者の存在を復活させたい、という願いが根底にあるのだ。後世に創作された忍者のイメージではなく、“本物感”“源流感”を大切にする。そのために甲賀市では甲賀流忍者調査団「ニンジャファインダーズ」を結成、甲賀市内の忍者の末裔の調査を行った。
具体的には、文献に残る“甲賀武士53家”と同じ姓を持つ甲賀市在住の725世帯にアンケートを実施、そのうち224世帯から回答を得た。その結果、88世帯が「私は忍者の子孫」と回答、家に忍者ゆかりの品(巻物や家系図、武器や装束などの忍具類、手裏剣類)や習慣(特有の無形文化財)が伝わる世帯が30以上あることが分かった。
「復活祭」では、自宅から見つかった古文書から、先祖が島原の乱(1637〜38年)で“忍びの者”として活躍したことが判明した末裔が登場。「先祖代々農業を営んでいて、自分が忍者の末裔であることは何も知らされていなかった」と驚きを語った。
甲賀市ではこうしたイベントを通じて、甲賀流忍者のまちとして、市民の帰属意識を向上させ、“わがまちの自慢”を活性化させたいという狙いがある。つまり、まずは地元住民が忍者を理解し、子孫や縁者が表に出てきやすい環境づくりに注力しているのだ。