――背景にある理由は?
労働者と事業経営を取り巻く環境が、構造的かつ抜本的に変わろうとしていることに起因しています。バブル崩壊後の日本経済の構造的不況、相次ぐ規制緩和による人材流動化という名の非正規雇用者の増加、グローバル競争の激化、「人件費は変動費」という市場主義的経営思想の広まり、プレーイング・マネジャーである現場管理者の疲弊、社員の権利意識の高まり等々、さまざまな要因が絡み合っているのです。
一方、国や自治体による労働環境改善への取り組みが、相談件数の増加につながっている側面もあります。たとえば、国民医療費の抑制という大方針に沿い、労働基準監督署では健康問題に対する事業主側の取り組みに監視を強めており、未払い残業賃金の支払い是正指導も、賃金問題という視点はもちろんですが、長時間労働の減少という健康の視点での指導を強めています。
経営者の労務問題への無知
――特に、事業主側の取り組みで不足しているものはありますか。
残念ながら経営者はあまりにも労務問題に関心が薄く、経営の重要な課題であるとの認識が乏しすぎます。厚生省東京労働局の2011年の定期監督の取りまとめでは、労働基準監督署が調査に入ったうちの約7割で、なんらかの違反事実が確認されていますが、それが違反だという自覚すら少ないのが現状です。
経営感覚は「家」「内」のままで、「やる気がない」というだけで退職を強要したり、「景気が悪い」というだけで一方的に労働条件を引き下げたりする。現場で起きているいじめや嫌がらせ、いわゆるパワハラに気がつかず、現場を守るべき管理者に対しても締め付けを強めるばかりです。
2000年3月の最高裁判決でメンタルケアに対する事業主側の責任が認められたのを契機に、安全配慮義務を盛り込んだ労働契約法が施行されたほか、労働基準法や労働者派遣法などが相次いで改正されているのですが、その骨子を理解する社長や現場管理者は多くないでしょう。詳細な内容を知れば、「そこまで事業主側に厳しい内容になっているのか」と驚かれるはずです。
労働基準法や労働安全衛生法には、懲役を含む厳格な罰則規定があることは意外に知られていません。男女同一賃金の原則に違反したり、30日分の平均賃金の支払いをせず解雇したりすれば「6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金」です。また、従業員が50人以上の企業では産業医の選任が義務づけられていますが、それに違反していれば50万円以下の罰金です。
しかも紛争がこじれて裁判になれば、多くの場合立証責任は事業主側にあることも知られていません。労働者が、「2年間1000時間分の未払い残業代を払え」と訴えたならば、「2年間1000時間も残業をさせていない。残業代は払っている」と証明しなければならないのは事業主側なのです。これが、いかに重い負担になるかは経営者であれば、容易に想像できるでしょう。