1917年に設立された理化学研究所の3代目所長である大河内正敏は、学術研究を産業の基盤にすることを目的に、研究成果ごとに会社を設立し、「理研コンツェルン」と呼ばれる企業群を形成していった。ピーク時には63社、工場数は121に達した。その一つが陽画感光紙の理研光学工業から発展したリコーである。
続きを読むリコー市村清、無配転落から2年半で再建を果たした「経営の神様」の手腕
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1917年に設立された理化学研究所の3代目所長である大河内正敏は、学術研究を産業の基盤にすることを目的に、研究成果ごとに会社を設立し、「理研コンツェルン」と呼ばれる企業群を形成していった。ピーク時には63社、工場数は121に達した。その一つが陽画感光紙の理研光学工業から発展したリコーである。
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