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深澤 献
いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。今回は、わずか10年で三井や三菱といった財閥に匹敵するような巨大コングロマリット「日本産業(日産)コンツェルン」を形成した鮎川義介を取り上げる。一般大衆である株主に広く利益を還元する「公衆持ち株」という、極めて民主的な仕組みを取り入れた人物でもある。

いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。今回は、味の素の創業者、鈴木三郎助を取り上げる。うま味という「第五の味」を世界に提示し、「味覚の再定義」を促しただけなく、「世界中の料理が、どこでも同じようにおいしい」という環境を創り出した人物だ。また一方で、現代のAI論争にも通じる「科学と文化の摩擦」という普遍的な問題を投げかける存在でもあった。

1995年1月17日の阪神淡路大震災で、神戸を創業の地とするダイエーは被災地の店を開け、生活必需品を売り続けた。だが当時、「無料で配っている店もあるのに、なぜ売るのか」という声が上がっていた。震災直後となる「週刊ダイヤモンド」1995年2月18日号のインタビューで、会長兼社長の中内功がその批判に正面から答えている。

いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。今回は、野村證券の創業者、野村徳七を取り上げる。株式投資に徹底的な調査と論理を持ち込み、そうした投資にまつわる情報を顧客へ開放することで、個人が投資しやすい環境を整えた人物だ。証券業を「ばくち」から「職業」へ、一部の情報通の「特権」から「インフラ」へと変えることに、野村は生涯を注いだ。

「平和後の5、6年は不景気と思わなければならぬ」。1918年1月1日号の「ダイヤモンド」に掲載された「戦後の経済観」で、実業家の福沢桃介はこう予言した。福沢諭吉の娘婿で、後に「電力王」と呼ばれる人物だ。ここでいう「戦後」とは、第1次世界大戦の終戦後を指す。

いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。今回は、わずか10年で三井や三菱といった財閥に匹敵するような巨大コングロマリット「日本産業(日産)コンツェルン」を形成した鮎川義介を取り上げる。一般大衆である株主に広く利益を還元する「公衆持ち株」という、極めて民主的な仕組みを取り入れた人物でもある。

「週刊ダイヤモンド」1987年2月7日号に掲載された経営学者P・F・ドラッカーと東芝会長で経団連会長の土光敏夫による対談だ。石油ショックによって高度経済成長の終焉と環境資源の有限性を突き付けられていた時期だ。しかし対談の最後にドラッカーは、「さまざまな障害はあっても、それでも日本は強いのです」と結んでいる。

いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。今回は、日本興業銀行の頭取・会長として、戦後復興期から高度成長期にかけて、日本経済の裏側を支え続けた中山素平を取り上げる。渋沢栄一が「近代日本に“調整”という機能を植え付けた人」だとすれば、中山は「高度成長期にその機能をフル稼働させた最後の人」だった。

「週刊ダイヤモンド」1987年2月7日号に掲載された京セラ会長の稲盛和夫と、ワコール社長の塚本幸一の対談だ。当時はバブル経済に向かう日本経済の転換点。効率化一辺倒のムードの中で「文化性のない企業は21世紀に生き残れない」という点で、2人の意見は一致している。

いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。今回は、ソフトバンクの創業者、孫正義氏を取り上げる。稲盛和夫、松下幸之助と並び、同氏もまた、経営に「宗教」を持ち込んだ経営者だ。もっとも、その宗教の中身は「理念」や「人格修養」ではない。孫氏が信仰の対象にしたのは、テクノロジーがもたらす未来そのものだった。

日本専売公社の民営化によって1985年に発足した日本たばこ産業(JT)の第2代社長・水野繁が、「週刊ダイヤモンド」1993年1月30日号でインタビューに答えている。自由化のただ中で厳しい競争にさらされる中、水野は、社長就任の第一声として「わが社の営業は営業ではない」というメッセージを発したと明かす。まさに旧公社体質からの脱却を象徴するエピソードだ。

いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。今回は、松下幸之助と同様「経営の神様」と呼ばれた京セラの創業者、稲盛和夫を取り上げる。「経営を宗教にした神様」である松下や、資本主義を「モノを神にする宗教」と暴いたマルクスとは異なり、稲盛は多くの経営者が「この人の言うことなら正しい」と慕う個人的な信仰対象としての神様だった。

「週刊ダイヤモンド」1973年6月16日号に、「やっぱり総会屋は必要だ!」という記事が掲載されている。筆者は、数多くの伝記文学を手がけた直木賞作家の杉森久英である。新聞や雑誌では、経営者から金品を受け取り、株主総会を意のままに操る「民主主義の敵」として描かれることが多かった総会屋だが、杉森はそうした単純な悪役論には乗らない。

いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。今回は、“経営の神様”こと松下幸之助を取り上げる。彼が神様と呼ばれるゆえんは、単に「神様のようにすごい経営者」だったからではない。会社経営そのものに宗教の構図を持ち込んだところにあった。

1971年4月、外国資本による日本企業への出資解禁によって、ゼネラル・モーターズ(GM)、フォード・モーター、クライスラーの米国「ビッグ3」が本格上陸することになった。その前月の「週刊ダイヤモンド」に、トヨタ自動車販売社長で「販売の神様」と呼ばれた神谷正太郎のインタビューが掲載されている。

いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。今回は、戦後の焼け跡の中から、盟友・井深大と共にソニー(当時は東京通信工業)を創業した盛田昭夫を取り上げる。安かろう悪かろうだった世界における日本製品のイメージを変えただけでなく、日本企業を「世界基準」へ引きずり出した経営者だった。

太平洋戦争の空襲で休刊を余儀なくされていた「ダイヤモンド」誌は、戦後の1945年11年1日号に復刊。その際、ダイヤモンド社創業者の石山賢吉は社説で日本経済の再建をいかに進めるべきかを論じている。ものづくりに対する提言には、後の「メイド・イン・ジャパン」の高品質神話を先取りする視点が見て取れる。

いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。今回は、「真珠王」と呼ばれる御木本幸吉。「不屈の努力で真珠の養殖に世界で初めて成功した孤高の発明家」のように評されるが、一口に言うと、彼は「プロデューサー」であり、そのスケールと発想において同時代の日本のどんな経営者とも異なる、規格外の存在だった。

福沢諭吉の娘婿で、「電力王」と称された実業家・福沢桃介が「ダイヤモンド」1929年5月1日号に、豊田佐吉の人物評を寄せている。日本の産業界に革命をもたらした発明家を、同時代を生きた実業家ならではの視点と、福沢らしい軽妙な筆致で描いた貴重な記録だ。

今、私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。今回は、森村グループの始祖、森村市左衛門を取り上げる。高品質の製品を輸出し、世界を相手に商売をするという日本企業の生きる道を、明治の初めに示した人物だ。いわば「メイドインジャパン神話」の起点といえる存在だった。
