第2次世界大戦後に李は、三星物産、第一製糖、第一毛織などを設立し、60年代には金融、70年代には重化学工業に進出。70年代を通じてサムスンの売上高は年率48%増と驚異的成長を達成。記事が掲載された当時、80年は韓国経済が大不況に陥っていたが、サムスンは総売上高37億ドルと、対前年比61%の伸びを記録している。これは当時の韓国のGNP(国民総生産)の6.8%に相当する。そして、80年代以降のサムスンは、家電、半導体など電子分野で韓国を輸出立国に押し上げるけん引役となる。
81年の記事には「緊急インタビュー」と銘打ってある。というのも、ちょうどこの時期に「日韓安全保障経済協力(安保経協)問題」が日韓両国を揺るがしていたからだ。韓国の全斗煥政権が81年、日本と極東の平和維持のためには韓国の安定的な経済発展が欠かせないとして、100億ドルもの借款を日本政府に要請したのである。すでに開発途上国から卒業しつつある韓国からの巨額の援助要請に、交渉は難攻した。その後、韓国側の要求は100億ドルから60億ドルに減額され、最終的には83年、中曽根康弘首相(当時)が訪韓し、40億ドルで決着した。
李はインタビューの中で「60億ドルは法外でない」と主張する。「短期的にではなく長期的に見て、韓国の安定が日本の安全に寄与するという事実を認識し、互恵的な経済協力を惜しんではならないということだ」と話す。
また、日本企業の技術移転についても踏み込んだ発言をしている。「われわれは、日本が技術移転を渋ることに大きな不満を持っている。65年から79年までに日本が外国に支払った技術料は2兆2000億円に上る。反対に日本が外国に技術を輸出して得た収入は4200億円にすぎない。日本自身、外国技術を導入して今日の発展を見たのだから、今後は外国にもそれを施すのが道理ではないか」。
サムスン電子は69年に三星電子工業(当時)と三洋電機(現在はパナソニック ホールディングスの子会社)との合弁によって生まれた会社だが、こうした日本企業からの技術移転や、日本製品を徹底的に解析する「リバースエンジニアリング」、そして技術者の引き抜きなどによって、エレクトロニクス産業における躍進を実現した。インタビューからは、その方針の背景にある強い意思が伝わってくる。(敬称略)(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)
世界の平和のためにも
“60億ドル”は法外でない
――日米韓3国の関係が新たな変化を見せつつあるように思うが、韓国経済界指導者のお一人としてこれをどう考えるか。
それにはまず、自由主義圏の超大国である米国の世界戦略について検討することが不可欠だ。米国は韓国戦争、ベトナム戦争であれほどの犠牲を払ったにもかかわらず、引き続き、膨大な資金と兵力とを日本、韓国、ヨーロッパなど他国の防衛のために投入している。その目的は究極的には自国の防衛のためかもしれないが、包括的には全世界の自由を守るためである。
日本はどうか。日本の1人当たりGNPは今や米国の80%を超え、生活は豊かになった。にもかかわらず防衛問題は他国任せというのはおかしい。
韓国はGNPで日本の25分の1、人口は3500万人にすぎないが、国家予算の35%、GNPの6%を防衛費に当て、60万の兵力を維持している。北韓さえなければこんなことをしなくてもいいし、経済的に苦境に立たされることもなかったろう。
韓半島が二つに分断されたのは、本をただせば、日本の植民地支配によることは明白だ。敗戦で、ドイツは分割された、日本本土は分断されていない。代わりに韓国が犠牲になったということである。韓国で紛争が起これば東北アジアはもちろん、世界の平和にも一大脅威になることは、すでに韓国動乱を通じて立証済みである。このへんの理解が日本にはまるでないように見受ける。
――60億ドルの借款要求は法外だと日本では考えられている。経済協力を軍事問題と絡めることにも反発がある。
私は政府代表者でないから細かいことは知らないが、日本の経済力からいっても法外とはいえない。安保と絡めるのがいけないなら、純粋な経済協力でやればよい。
韓国は第5次5カ年計画(82~86年)期間中に7~8%の成長をしなければ、毎年43万人ずつ増加する新就業人口に職を与えることができない。このような成長率の達成にはどうしても円滑な外資の調達が必要なのだ。
そのお金を兵器に使おうというのではない。産業構造の再編と社会資本の拡充は韓国の安定を図るために使われる。それはまた日本の安全に寄与するだろう。それなのに韓国が日本から導入した借款は、1966年以来今までに公共・商業ベース合わせても37億2300万ドル、韓国の総借款額の14.5%にすぎない。200億ドルを超える対韓貿易累積黒字を出している日本にしては、あまりにも少ない。