今や世界的ブランドとなったタミヤも、最初から順風満帆だったわけではない。初のプラモデル「大和」は売れず、一時は会社存亡の危機に。さらに海外では「日本製」というだけで相手にされなかった。そこからタミヤは、なぜ「世界のタミヤ」へと駆け上がることができたのか。その背景には、精密さだけを追わず「作りやすさ」にこだわった独自のものづくりと、兄弟2人の存在があった。※本稿は、元テレビ朝日アナウンサーの松井康真『私とプラモデルの半世紀』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。
続きを読むそりゃ「世界のタミヤ」だわ…「精密なのに作りやすい」を実現したものづくり哲学
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