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世界的な模型メーカー・タミヤに、小学4年生の少年が「不良パーツを交換してほしい」と手紙を書いた。後日届いたのは、新しい部品と丁寧な返事、そしてミニカタログだった。さらに数十年後、その手紙を書いた人物について驚きの事実が判明する。少年が感じた「タミヤはすごい」の正体とは――。※本稿は、松井康真『私とプラモデルの半世紀』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。
タミヤのプラモは
箱のデザインから違う
今でも、私が初めて作ったタミヤのプラモデルのことは鮮明に覚えています。それはタミヤの1/100ミニジェット機シリーズの「No.5ダッソーミラージュ3C」と「No.15イリューシンIL-28ビーグル」というプラモデルです。
小学校3年生の時に親戚のおじさんが、
「やっちゃん(康真)、プラモデルでも作ってみるか?」
というので、喜び勇んで近所の駄菓子屋に一緒にプラモデルを買いに行ったのが最初でした。なぜ駄菓子屋だったかというと、私が住んでいた町には都会にあるような模型専門店なんて一つもなかったからです。地元でプラモデルが買えるのは、文房具屋さんや本屋の一角、駄菓子屋さんみたいなところだけです。
駄菓子屋に入ると、土間のガラスケースの中に、プラモデルが沢山並んでいました。靴を脱いで奥の畳の間に上げてもらうとさらに沢山積み上げてあり、子ども心に「無限にあるのではないか」というトキメキを感じて胸が高鳴りました。おじさんから「好きなの、選んでいいよ」と言われたものですから真剣です。







