宇野千代 Photo:SANKEI
数々の恋愛を経験し、その波乱に満ちた生き方でも知られる作家・宇野千代。そんな彼女の代表作のひとつ『色ざんげ』は、画家・東郷青児との関係から生まれた作品だった。かつて女性との心中未遂事件を起こした東郷と、千代はどのようにして惹かれ合い、彼の体験を小説にしたのか。2人の恋愛と創作の裏側をたどる。※本稿は、フリーライターの四條たか子『宇野千代 その言葉と人生』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです。
パリ帰りの新進画家
東郷青児の心中未遂事件
東郷青児は千代と同じ1897(明治30)年生まれ。竹久夢二の「絵双紙屋港屋」(編集部注:画家・詩人の竹久夢二が、大正3年10月に東京・日本橋呉服町に開店した、日本初とも言われる「芸術家によるセレクトショップ」)に出入りするうち、東郷を巡って夢二と別居中の妻との間に刃傷沙汰が起きたが画才はあった。
有島生馬に師事して1916(大正5)年に「パラソルさせる女」で仁科賞(編集部注:美術団体「仁科会」が主催する日本を代表する総合美術展「仁科展」で、特に優秀な作品に贈られる重要な賞)を受賞。1920(大正9)年に永野明代と結婚してフランスに留学し、1928(昭和3)年5月に帰国したが、明代との関係はこじれて離婚を決意した。その背景には何年も妻子を顧みず、女性遍歴を繰り返した東郷の生活があった。
新進画家として脚光を浴びる東郷は、海軍将校・西崎勝之の娘盈子と恋に落ちたが、妻子ある東郷との交際が許されるはずもない。
翌1929(昭和4)年2月、東郷は離婚が成立しないまま実業家の娘・中村修子と挙式し、大井鹿島谷(品川区)で新婚生活を始めたが、東郷と盈子の再会を知った修子は大学生と駆け落ちした。







