大評判を博した下着ショー

1950年代半ばの下着ショーの様子

 ホールの入口にガードマンを立たせ、男子禁制の札が立てられた。世間の顰蹙を買うのではないかという懸念もあったが、そんな心配をよそに会場には300人あまりの女性客が集まった。

 こうして昭和27年の秋、阪急百貨店の1階ホールで「おしゃれ教室」という名の日本初の“下着ショー”が開かれたのである。

 この当時、ファッションモデルなどという職業はないに等しい。

 広告の写真モデルとして使っていた女性の中から、容姿端麗な女性を3人ほど選んでやってもらうことになった。

 写真ならじっとしていればいいがショーは歩かねばならない。片尾たちも素人ならモデルたちも素人。それでも頭数をそろえるだけで精一杯で、ろくに予行演習も出来ないまま本番を迎えた。

 すべてが手探りだけに、当日の裏方はてんてこ舞い。モデルの人数が少ないから、入れ替わり下着を着けてもらってステージへ送り出す。

 事前の準備不足のため、実際に下着を着けてもらったらぶかぶかだったりする。そこで会社から縫製担当に詰めてもらい、さっと縫って調節するなど綱渡りだった。

 いろいろと試行錯誤はあったものの、当日は黒山の人だかりとなり評判も上々。

 テレビ放送が始まったころで、各局にとりあげられ、『婦人画報』や『スタイル』といった女性誌から下着関連の取材依頼も殺到し、他の百貨店から「うちでもやってくれ」という申し出があいついだ。

 「なんで阪急さんが先なんだね」

 すぐに高島屋大阪本店でもやることになり、この時はデザイナー藤川延子のファッションショーとジョイントで行われたので、さらに注目を集めた。

 ここでもやはり裏方は大変で、モデルが足りないからと高島屋の担当者がミナミのキャバレーのホステスを口説いてかき集めたという武勇伝や、酔っ払いの男が会場に紛れ込んできて大騒ぎになるなど、下着ショーはさまざまな話題を集めた。

(つづく)

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